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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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 「青空文庫」による北海道ゆかりの作家 文学全集

*謹んで「青空文庫」のために献身されている皆さまの善意と労力に感謝申し上げます。

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有島武郎(ありしま・たけお 1878〜1923)札幌農学校、遠友夜学校などで活躍。
  12年を札幌で暮らす。「カインの末裔」「生れ出づる悩み」「お末の死」「星座」など。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person25.html#sakuhin_list_1
       拙稿<一八九九年の有島武郎の方へ―『星座』の街・札幌を歩く>参照


猪狩満直(いがり・みつなお 1898〜1938) 詩人。福島県出身。1925年、阿寒に入植する。
  詩作に努める一方、泥炭地での生活は苦闘の連続であった。
  「移住民」は詩壇に大きな反響を呼んだ。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1626.html#sakuhin_list_1
       拙稿<「北緯50度」の詩人たち>参照


石川啄木(いしかわ ・たくぼく、1886〜1912)歌人、詩人、批評家。岩手県出身。
  1907年から約1年間、函館、札幌、小樽、釧路で新聞記者として活躍する。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person153.html#sakuhin_list_1

      資料集「ぶらり文学散歩−明治40年秋、石川啄木の札幌を歩く」

違星北斗(いぼし・ほくと、1901〜1929年) 歌人。後志館内余市町出身。
  行商をしながら道内各地のコタンを訪ね、アイヌ民族の地位向上・復権を訴えた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1210.html#sakuhin_list_1
      拙稿<アイヌ民族の文学>参照


岩野泡鳴(いわの・ほうめい 1873〜1920)田山花袋、島崎藤村、徳田秋声、正宗白鳥−
  と並び日本近代の自然主義五大作家の一人である。北海道、樺太を放浪した。
  その5部作が「発展」「毒薬を飲む女」「放浪」「断橋」「憑き物」である。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person20.html#sakuhin_list_1
      拙稿<岩野泡鳴「夕潮」「放浪」>参照


円城 塔(えんじょう とう 1972〜)小説家。札幌市出身。
  2012年「道化師の蝶」で第146回芥川龍之介賞受賞。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1916.html#sakuhin_list_1


大町桂月(おおまち・けいげつ 1869〜1925)随筆家。「層雲峡より大雪山へ」冒頭の
 「富士山に登って、山岳の高さを語れ。大雪山に登って、山岳の大いさを語れ」は名高い。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person237.html#sakuhin_list_1


荻野吟子(おぎの・ぎんこ 1851〜1913)近代日本における最初の女性の医師。
  キリスト教徒・志方之善とインマヌエル(今金町)に移住。札幌、瀬棚などで開業する。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person2127.html#sakuhin_list_1
       拙稿<渡辺淳一「花埋み」原稿>参照


小熊秀雄(おぐま・ひでお 1901〜1940)。詩人、批評家。小樽市出身。
  樺太(サハリン)で過ごした後、旭川で新聞記者として文芸活動を始めた。上京した後は
  強靱で創造的な批評精神で困難な時代に多彩な発信を続けた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person124.html#sakuhin_list_1


葛西善蔵(かさい・ぜんぞう 1887〜1928)小説家。青森県生まれだが、2歳の時に一家は
  北海道に2年ほど移住するが、青森に戻る。1903年から2年間、道内を放浪、さまざまな
  労働に従事する。炭鉱町・歌志内から芦別の奥での体験の上に書かれたのが「雪をんな」。
  「大吹雪の夜に天から降つた」との一節は名高いが、連れて行かれた先は監獄部屋だ。
  「この世ならぬ美しさの、眞白な姿の雪をんなが、乳呑兒を抱いて」現れ、子どもを抱いて
  と頼む。だが、その願いを聞いてしまったら命は奪われてしまう―。監獄部屋の過酷な労働
  と北国の大吹雪の恐怖が招く生死臨界の幻想譚。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person984.html#sakuhin_list_1


風巻景次郎(かざまき・けいじろう、1902〜1960)国文学者。兵庫県出身。
  北海道大学法文学部国文科の初代主任教授。代表作に『四十度圏の幻想』
  『風巻景次郎全集』など、北海道文学論、道内国文学研究の礎を築いた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1479.html#sakuhin_list_1
     拙稿<「北海道の評論家・研究者」>参照


亀井勝一郎(かめい・かついちろう、1907〜1966)評論家。函館市出身。
  プロレタリア文学から、保田与重郎らと「日本浪漫派」の中心となる。
  代表作に『大和古寺風物誌』『我が精神の遍歴』など。
 「北海道文学の系譜と云ったもののその精神の傾向を大まかに言うなら、
  札幌のピューリタニズム、小樽のリアリズム、函館のロマンチシズムということに
  なりそうだ」という指摘は名高い。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1870.html#sakuhin_list_1
     拙稿<「北海道の評論家・研究者」>参照


北原白秋(きたはら・はくしゅう 1885〜1942)詩人、童謡作家、歌人。
  1925年夏、樺太を旅行(紀行集が『フレップ・トリップ』)、帰路で北海道を巡った。
  時計台(札幌農学校演舞場)を読み込んだ「この道」などの詩が生まれた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person106.html#sakuhin_list_1


楠田匡介(くすだ・きょうすけ 1903〜1966)推理作家。厚田村(現・石狩市)生まれ。
  同郷の作家に子母澤寛(1892〜1968)がいる。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1866.html#sakuhin_list_1


国木田独歩(くにきだ・どっぽ 1871〜1908)小説家、詩人。1895年、北海道移住を計画、
  新渡戸稲造らの紹介で空知川沿岸を訪ねる。
 「空知川の岸辺」の自然描写は北海道を描いた代表作。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person38.html#sakuhin_list_1


久保栄(くぼ・さかえ 1900〜1958)劇作家、小説家。札幌市生まれ。
  日本プロレタリア劇場同盟(プロット、日本プロレタリア演劇同盟に改称)に参加した。
  代表作に『五稜郭血書』『火山灰地』『林檎園日記』『のぼり窯』など。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1307.html#sakuhin_list_1


畔柳二美(くろやなぎ・ふみ 1912〜1965)小説家。千歳出身。発電所のある山中で
  生まれ育ち、その少女期の体験を「山の子供」「姉妹(きょうだい)」などに描いた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person2200.html#sakuhin_list_1


幸田露伴(こうだ・ろはん 1867〜1947)小説家。東京生まれ。1885年、電信技手として
  余市で勤務するが、2年後に脱出する。筆名露伴はこの時の夜露と伴に寝た体験による。
 「雪粉々」「突貫紀行」などの北海道題材作がある。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person51.html#sakuhin_list_1


小林多喜二(こばやし・たきじ 1903〜1933)秋田県生まれ。4歳で伯父を頼って小樽移住。
  小樽高等商業学校を卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に就職。文学への関心を深める一方、
  底辺を生きる人間への共感から社会批判と労働運動へ進んだ。「一九二八年三月十五日」を
 「戦旗」に発表、続く『蟹工船』で国際的にも注目された。ほかに「不在地主」
 「転形期の人々」「党生活者」など。1933年2月20日、特高警察に逮捕され、
  連行された築地警察署で拷問の上、虐殺された。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person156.html#sakuhin_list_1


小山清(こやま・きよし 1911〜1965)小説家。東京生まれ。太宰治に師事。
  1947年から翌年秋まで夕張に移り住み、炭鉱員として働いた。その体験をもとに
  書かれた小説の一つが「夕張の宿」。主人公の順吉は関東大震災で母親を失くし不遇な
  生活を続けていたが、職業紹介所で炭鉱員の仕事を見つけ、遠い北海道へ流れ着いた。
  そこの病院で「おすぎ」という寡婦と出合う。哀しみを抱えて生きている者同士の心の
  ふれあいが静かにしっかりと描かれている。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1867.html#sakuhin_list_1


今野大力(こんの・だいりき 1904〜1935)詩人。1927年に小熊秀雄らと旭川で詩誌
  「円筒帽」を発刊。上京して「婦人戦旗」などの編集に加わる。日本プロレタリア文化
  連盟(コップ)に加盟するが、翌年のコップ弾圧で検挙され拷問でたおれ釈放される。
  奇跡的に回復し体調不良を抱えながら活動を続けるが死去した。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1471.html#sakuhin_list_1


左川ちか(さがわ・ちか 1911〜1936)詩人。余市生まれ。本名は川崎愛。伊藤整の親友の
  川崎崎昇の妹。百田宗治の「椎の木」に参加。詩作の傍らジョイスの『室楽』を翻訳。
  病弱で作風にもそれが現れていたが、25歳で夭逝。死後、『左川ちか詩集』が編まれた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1914.html#sakuhin_list_1


佐藤春夫(さとう・はるお 1892〜1964)詩人、小説家。和歌山生まれだが、
  父は十勝の原野で開拓に入っていた。幾度も来道しており「手記」「北海道へ」などの
  題材作があるが、『わが北海道』を晩年に上梓している。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1763.html#sakuhin_list_1


佐野良二 (さの・りょうじ 1940〜)小説家。小樽生まれ。「士別市民文芸」で活躍。
  1993年「闇の力」で第27回北海道新聞文学賞受賞。北海道文学館評議員を勤めたが退任。
  現在は工芸家としても活動している。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person54.html#sakuhin_list_1


志賀重昂(しが・しげたか 1863〜1927)地理学研究家。札幌農学校に学び、札幌郊外の
  定山渓や小樽、石狩川などを歩く。『日本風景論』を著し、自然への洞察を深め、広めた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person587.html#sakuhin_list_1


島木健作(しまき・けんさく 1903〜1945)小説家。札幌市生まれ。本名・朝倉菊雄。
  高等小学校一年で中退し、拓殖銀行の給仕をしながら夜学に通うなど苦労を重ねた。
  志を立て上京するも、関東大震災で負傷して帰郷。北海道帝国大学の雇員となって、
  附属図書館及び農業経済学教室に1923年から1925年3月まで勤め、社会科学への
  関心を深めた。東北帝国大学選科に進むが、学生運動や農民運動に参加する。1928年の
  3・15事件で検挙され、運動を離れた後、文学に専念する。転向体験に向き合い、
 「癩」『生活の探求』などを発表した。短編「赤蛙」は感動作として知られる。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person8.html#sakuhin_list_1


素木しづ(しらき・しず 1895〜1918)小説家。札幌生まれ。同期に作家の森田たまがいる。
  結核性関節炎のため右足を切断したが、病中に文学を志し森田草平に師事した。
 「松葉杖をつく女」「三十三の死」で注目される。江別出身の画家上野山清貢と結婚するが、
  病気に加え貧困の中で、早逝した。「惨事のあと」は開墾地の悲劇を描いた佳編。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person12.html#sakuhin_list_1


橘 外男(たちばな・そとお 1894〜1959)小説家。金沢生まれ、高崎中学中退であるが、
  北海道に渡り、札幌駅に勤める。その後、波乱の日々を送るが、「太陽の沈みゆく時」
  などで認められ、1938年「ナリン殿下への回想」で第7回直木賞を受賞する。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1397.html#sakuhin_list_1


谷 譲次(たに・じょうじ 1900〜1935)小説家、翻訳家。本名は長谷川海太郎。函館で育ち
  弟に画家の長谷川りん二郎、ロシア文学者の長谷川濬、作家の長谷川四郎がいる。谷譲次は
  移民文学「めりけんじゃっぷ」で知られるが、時代小説「丹下左膳」で知られる時代小説を
  林不忘(はやし・ふぼう)として、翻訳、犯罪実録ものを牧逸馬(まき・いつま)として、
  3つのペンネームを使い分けて活躍した。1933年から『一人三人全集』全16巻を刊行して、
  1935年6月完結の2週間後に心臓発作を起こして急死した。過労死と言えるものだった。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person272.html#sakuhin_list_1


知里真志保(ちり・ましほ 1909〜1961)アイヌ学、言語学。登別生まれ。知里幸恵は姉。
  金田一京助の勧めで東京に移り、東京大学で学ぶ。樺太(サハリン)で教員をしながら
  樺太アイヌ語の研究を深める。北海道大学教授。『分類アイヌ語辞典』『地名アイヌ語
  小辞典」などを刊行する。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1540.html#sakuhin_list_1


知里幸恵(ちり・ゆきえ、1903〜1922) ユーカラ伝承者。登別市出身。アイヌ自身による
  初めての神謡の記録『アイヌ神謡集』を言語学者の金田一京助のもとでまとめたが、
  19歳の若さで夭折した。同書は柳田國男編集「炉辺叢書」の一冊として翌年出版された。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person276.html#sakuhin_list_1
      拙稿<アイヌ民族の文学>参照


辻村もと子(つじむら・もとこ 1906〜1946)小説家。岩見沢市生まれ。日本女子大学卒業の
  記念に『春の落葉』を出版した。父親は小田原からの入植者で、代表作『馬追原野』はその
  開拓日誌をもとに書かれ、樋口一葉賞を受賞した。遺作短編集に『風の街」。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1228.html#sakuhin_list_1


寺島柾史(てらしま・まさし 1893〜1952)小説家。根室市生まれ。上京して、築地の
  工手学校を卒業した後、放浪生活を送るが、旭川や小樽で新聞記者を経験したという。
  文筆家としては歴史もの、科学ものなどを多数刊行した。
 『維新の処女地』「開拓者郡司大尉」『貧者の幸福』『怪奇黄金島』などがある。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1084.html#sakuhin_list_1


徳冨蘆花(健次郎)(とくとみ・ろか 1868〜1927)小説家。兄は徳富蘇峰。
  『不如帰』で成功した後、旭川の第七師団の小笠原善平をモデルにした『寄生木』を書く。
   北海道の旅を描いた随想に「熊の足跡」(『みみずのたはこと』所収)がある。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person279.html#sakuhin_list_1


中島葉那子(なかじま・はなこ、1909〜1939) 詩人。空知管内栗山町出身。
  竹内てるよと交友、詩作に入る。農民運動の影響を受け、論理的で先鋭的な詩を
  書き続けた。弟子屈の更科源蔵の詩集『種薯』に感動し、結婚するが、
  二女をもうけた後、29九歳で急逝した。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1636.html#sakuhin_list_1
      拙稿<「北緯50度」の詩人たち>参照


中谷宇吉郎(なかや・うきちろう 1900〜1962)物理学者、エッセイスト。寺田寅彦の学風を
  継ぐ。北大教授として低温科学研究所を指導。雪の結晶を究明する。『冬の華』ほか。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1569.html#sakuhin_list_1


夏目漱石(なつめ・そうせき 1867〜1916)日本の文豪。東京生まれの江戸っ子であるが、
  1892年から1913年まで本籍を「北海道岩内郡吹上町……」(現・岩内町)に置く。
  理由はわかっていないが、徴兵を避けるためだったとの見方がある。
  岩内町には夏目漱石在籍地の碑が立つ。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person148.html#sakuhin_list_1


新渡戸稲造(にとべ・いなぞう 1862〜1933)思想家。盛岡市生まれ。札幌農学校2期生
  として学び、米欧留学後に教授となる、勉学の機会を得られない子どもたちのために
  札幌遠友夜学校を設立した。「太平洋の橋」になる志を持ち、国際連盟事務次長として
  国際平和にも尽くした。『武士道』『修養』など。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person718.html#sakuhin_list_1


野口雨情(のぐち・うじょう、1882〜1945)詩人。茨城県生れ。東京専門学校中退。
  大正中期の民謡・童謡興隆の機運の中で,職を転々と変えながら,素朴な田園的情趣を主体
  とした作品を多く発表。北原白秋や西条八十の都会的風趣と対照された。民謡「船頭小唄」
 「波浮の港」や童謡「十五夜お月さん」「青い目の人形」などは広く愛唱された。1907年5月
  北海道に渡り北鳴新報社に入社。9月23日、石川啄木を知り、ともに小樽日報社に入社。
  翌年5月北海タイムス社、1909年6月胆振新報社に転じ、同年末郷里に帰った。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person286.html#sakuhin_list_1


野呂栄太郎(のろ・えいたろう 1900〜1934)理論家。長沼町生まれ。北海中学−慶応大卒。
  日本共産党の指導部となり『日本資本主義発達史講座』を企画し、いわゆる講座派理論の
  中軸となった。1933年11月に検挙され拷問により病状が悪化、のち死亡した。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person287.html#sakuhin_list_1


羽志主水(はし・もんど 1884〜1957)小説のほか落語、古川柳研究家。長野県生まれ。
  一時期、社会思想家の幸徳秋水に傾倒した。「監獄部屋」は一種の推理小説的な構成で、
  北見地方の水力電気工事現場を舞台に繰り広げられる労働者弾圧を描いた短編。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1305.html#sakuhin_list_1


林 不忘=谷譲次を参照
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person290.html#sakuhin_list_1


林芙美子(はやし・ふみこ 1903〜1951)小説家。『放浪記』がベストセラーとなる。
  しばしば北海道、樺太を訪れており縁が深い。取材作に「摩周湖紀行」「樺太の旅」
 「飛行機の旅」「帯広まで」など。戦中は「ペン部隊」として前線ルポを書いた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person291.html#sakuhin_list_1


葉山嘉樹(はやま・よしき 1894〜1945)小説家。貨物船の船員を経験しており、
  室蘭−横浜の石炭船を舞台にした『海に生くる人々」はプロレタリア文学の代表作。
 「セメント樽の中の手紙」のような佳品もある。文芸戦線派の中心であったが、
  力量は卓越しており、戦旗派となった小林多喜二にも大きな影響を与えた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person31.html#sakuhin_list_1


久生十蘭(ひさお・じゅうらん 1902〜1957)小説家。函館市生まれ。本名阿部正雄。
  後輩の水谷準が編集長だった縁で「新青年」に推理小説を発表した。『キャラコさん』
 『顎十郎捕物帖』シリーズなどもある。戦中は南方戦線に派遣されており、没後半世紀を
  経て、『従軍日記』が刊行され話題を呼んだ。1952年「鈴木主水」で直木賞受賞。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1224.html#sakuhin_list_1


本庄陸男(ほんじょう・むつお 1905〜1939)。作家。石狩管内当別町生まれ。
  代表作に『石狩川』。樺太生活を経て上京、教員となる。日本プロレタリア作家同盟の
  活動に尽力するが失職。同盟解散の後、教員体験を踏まえた秀作「白い壁」を執筆。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person303.html#sakuhin_list_1
      

牧逸馬=谷譲次を参照
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person304.html#sakuhin_list_1


三木露風(みき・ろふう 1889〜1964)詩人。一世を風靡し「邪宗門」の北原白秋とともに
 「白露時代」と称されるほどだった。カトリック信仰へ函館近郊のトラピスト修道院で
  約5年を暮らす。「赤とんぼ」の童謡詩は同院での経験から生まれた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1976.html#sakuhin_list_1
      拙稿<三木露風「廃園」>参照


三岸好太郎(みぎし・こうたろう 1903〜1934)洋画家。札幌市生まれ。
  時代小説家の子母澤寛は異母兄。画家の三岸節子は夫人。札幌第一中学校を卒業後、
  友人と上京し画家を目指す。「檸檬持てる少女」「兄及ビ彼ノ長女」などで春陽会展で
  画壇に登場した。しばしば帰道し、個展を開いたほか、北海道美術協会の特別会員となる。
  中国旅行を経て、「道化」をモチーフに加える。「上海の絵本」などの詩作品もある。
  独立美術協会創立会員となり、「オーケストラ」「飛ぶ蝶」「のんびり貝」など新しい
  領域に踏み出していったが、「貝殻旅行」の途上の名古屋で急死した。31歳。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1997.html#sakuhin_list_1
      拙稿<「石狩ルーラン」の残響を追って
          ――河合裸石と子母澤寛・三岸好太郎メモ――
>参照
      拙稿<inonokyoudai-nenpu.pdf へのリンク>参照
         (「子母澤寛と三岸好太郎 対照年譜」


宮沢賢治(みやざわ・けんじ 1896〜1933)詩人、児童文学作家。詩集に『春と修羅』、
  童話集『注文の多い料理店』。岩手県生まれであるが北海道とも縁が深い。最愛の妹トシを
  追想する「オホーツク挽歌」「銀河鉄道の夜」には1923年の北海道・樺太までの旅が
  反映されている。1924年の花巻農学校生を連れての旅は「修学旅行復命書」に詳しい。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person81.html#sakuhin_list_1
      拙稿<宮沢賢治と「春と修羅」>参照


宮本百合子みやもと・ゆりこ 1899〜1951)小説家。東京生まれ。父親の中條精一郎が1899年
  9月、文部省建築課札幌出張所長に任命され、10月に札幌農学校の土木工学科造形家学講師
  嘱託をかね、生後8ヵ月の百合子を含め一家をあげて札幌に移る。百合子は0歳から3歳
  までを札幌で過ごす。日本女子大学在学中に「貧しき人々の群」を発表する。1918年には
  3月から8月まで来道、バチラー家で養女の八重子を知り、アイヌ悲史に心を動かされて
  胆振、日高のコタンを八重子と巡り「風に乗って来るコロポックル」を書いた。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person311.html#sakuhin_list_1


渡辺温(わたなべ・おん 1902〜 1930)小説家。上磯郡谷好村(現北斗市)生まれ。
  推理小説家の渡辺啓助は兄。「新青年」2代目編集長の横溝正史の抜擢で博文館で編集者を
  務めた。「シルクハット」「アンドロギュノスの裔」など。
  https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person20.html#sakuhin_list_1


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