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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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「踊るシネマの世界」へ 目次 index
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

DANCE !  WITH CINEMA  2004~2005

*1 「キル・ビル」ー映画オタクの大博覧会
 クエンティン・タランティーノ(以下Q)は、くせ者オタクだ。自分のコレクションに陶酔しながら冷静に批評する。本作はその大博覧会だ。
 深作欣二のバトル・ロワイアル。修羅雪姫。影の軍団。子連れ狼。死亡遊戯…。探せば探すほど元ネタは増え、オタク心をくすぐる寸法。この一作で、関連ビデオのレンタル数も増えるだろう。
 本作の内容は題名どおり「ビル親分を殺せ」。憎きかたきを追う元暗殺団の女の復しゅう物語。なぜか日本刀を手に百人切りの青葉屋のシーンだけで、チャンバラ映画ファンは満腹になる。アニメさながらのトンデモ剣劇が続く無国籍調の日本酒場から、外に出ると一面の雪が美しい。女二人の果たし合いは藤純子演じる緋牡丹お竜の世界へと誘う。この時間と空間操作の妙がQの本領だ。
 場末の映画館で、休憩なしに三、四本を見た時の気分というのが、Qの狙いだそう。だが、本当は団塊世代の歌うサビばかりが続く「GSヒットメドレー」のカラオケに似ている気がする。
 日本の俳優が大活躍だが、脇役ながら珍妙な青葉屋おかみ役の風祭ゆきに一票。
〈メモ〉監督‖クエンティン・タランティーノ。出演‖ユマ・サーマン、ルーシー・リュー、千葉真一。

*2 「マトリックス レボリューションズ」−つかの間の愛と平和幻想
 さんざん待たせておいてこのラストはないぜ、と怒りの声も聞かれる。気持ちはわかるが、それは勘違いの片思いかな。
 第一作で不眠症のプログラマーがメールに導かれ、なぞの美女や伝説のハッカーに会う。世界が機械に支配されている仮想現実だと知り、人類を救うべく戦い(ゲーム)を続けてきた。
 難解な宗教と哲学は目くらましだ。コンピューターの基本ソフトに不具合(バグ)があり、上書き・削除して改良(バージョンアップ)しなくちゃ、ってのが、物語の設計思想(アーキテクト)。プログラムを擬人化したらどうなるか?
 この着想に、面白さも中途半端な結論も起因する。
 なんだかんだ言っても映像が素晴らしい。見どころのセンティネルズの大群には圧倒される。この映画の魅力は、弾道を残す銃弾や三六〇度回転のカンフー技などの超絶的映像美による解放感だったと再確認できる。
 主人公ネオの献身で人類は機械の侵略から救われるが、マトリックス支配は変わらぬ。愛と平和は、つかの間の幻想。世界の安定はプログラムの下にあるからという逆説的希望に、現代への批評がある。
〈メモ〉監督‖ウォシャウスキー兄弟。出演‖キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス。

*3 「半落ち」−心を清める癒やしの一本
 映画の楽しみの一つは泣くこと。涙を流すと、生きる勇気がわく。最近心がすさみ、元気がないな、と感じている人は本作で癒やされるだろう。
 横山秀夫の問題作の映画化だ。昨年の直木賞選考会では議論沸騰した。落選理由をナマで聞いているだけに感慨深い。
 小説「半落ち」は「オチ」に欠陥ありというのが一番の批判だった。反論もあるが、作品評価は主観を排除できず、一方で小説は売れた者勝ちという商品性もある。激しい争論を乗り越えての映画化は、結果的には作家側の勝利といえよう。
 閑話休題。本作では、その「オチ」は前面に出ず、妻殺しの警官の真情にじっくりと迫る。そして被害者の姉、取り調べ刑事、真相を追う新聞記者などをリアルに描く。
 愛する者を手にかけてしまい、死へと傾斜しながらも生き直そうと決意する男。人間、こんなに格好よく生きられんぞ、と思いつつも、真剣さに打たれるに違いない。
 人生は関係と重荷を背負って歩むことだ。原作の志の高さを的確に描き出したのは監督の手腕。だが原作者の顔がちらつくのが玉にきずか。
 半落ちとは警察用語で容疑を一部自供するも完全自供してない状態をさすそうだ。
〈メモ〉監督‖佐々部清。出演‖寺尾聰、柴田恭兵、鶴田真由。

*4 「ミスティック・リバー」−救いのない人生が痛い
 本作のクリント・イーストウッドは完ぺき主義者である。周到に張られた伏線、そして悲劇的な結末。まったく非の打ちどころがない。
 仲良し三人組の少年。だがある日、異界からやってきたニセ警官に一人が連れ去られ性的虐待を受けてしまう。その時、残された二人はただ見送っていただけだった。
 罪を背負う人間の体験の原点が、そこにある。月日は流れ、刑事、被害者の父、重要参考人となって三人の運命は再び交錯する。人間の罪は簡単に消えぬとばかりに。
 個性派俳優が勢ぞろいした。すきのない脚本に沿い期待どおりの演技をみせる。「ショーシャンクの空に」(フランク・ダラボン監督)で、絶望から自由をつかんだティム・ロビンスは、今回は救いようのない中年男のままだ。それがいい。
 ハリウッド的癒やしは本作にはない。あるのは業を背負って生きる人間の、ひりひりとした痛みだけなのだ。罪深きショーン・ペンの背中で、十字架が泣いて見える。
 残された二人に少年の日が重なる瞬間がある。結局オレたちは何も変わってないな。切ないつぶやきが聞こえる男の映画である。
〈メモ〉監督‖クリント・イーストウッド。出演‖ティム・ロビンス、ショーン・ペン、ケビン・ベーコン。

*5 「シービスケット」−くじけたら、未来はない
 映画が白黒から総天然色(古い?)になる過程でパートカラーってのがありました。もっぱら低予算のピンク映画(!)に使われた手法で、エッチなシーンになると、モノクロからカラーに変わるのである。懐かしや。
 と思っていたら、数年前、そんな映画がお目見えした。「カラー・オブ・ハート」というその作品は、規範の世界に生きている人間が恋をするとともに、色づいてくるのだ。画面もモノクロからカラーへと変わる。自由や恋愛が人間を豊かにするというメッセージが鮮やかに表現されていた。
 監督の名はゲイリー・ロス。そう、本作の監督だ。今回もテーマは明快で、人生七転び八起き。一度や二度の失敗くらいで、人間も馬もビビルんじゃないよ、って。
 前作の主演トビー・マグワイア、おちゃめな役のウィリアム・H・メイシーを引き連れ、今回は演技派ジェフ・ブリッジスらと組み合わせた。
 大恐慌後の自信を失った米国。民衆を立ち直らせたのは公共事業なんかじゃなくて、未来を信じるハートなんだぜって、一貫して強調する。
 そのテーマが挫折を繰り返す人間と競走馬の奇跡の物語と組み合わさって「そりゃあ、ヒーローは勝つわさ」とわかっていても、感動しちゃうのだな。 

*6 「レジェンド・オブ・メキシコ /デスペラード」ー主役を食う脇役の怪演
 何をやらせても変わらない役者ってのがいる。たとえばキアヌ・リーブスとかベン・アフレックとか。無表情なのが売りというのか超絶演技というのか。日本なら織田裕二クン。こちらは対照的にいつも熱い。
 これに対して、変幻自在なのがジョニー・デップである。なにしろ出てくるたびに違う顔を見せる。だから、今度はどんなキャラクターかなあ、とファンは見ずには済まなくなるのである。
 僕が初めて見た「ギルバート・グレイプ」。ディカプリオを見守る優しい兄がよかった。「ラスベガスをやっつけろ」では麻薬が人間をいかにアホにするか演じきった。
 で、本作。いつの時代かわからないメキシコ。そこに生息するCIAエージェント役だ。さすらいのギター弾きのガンマン、エル・マリアッチに工作を依頼する男。壮絶な西部劇が始まって、銃を撃ちまくるのは当然、ラテンのスター、アントニオ・バンデラスだ。
 だがデップも負けてない。百面相なのだ。三本の腕を操ったり、気楽にバカンスしたり、盲目のガンマンだったりする。さながら「ジョニー・デップ」ショーである。
 前作「デスペラード」のDVDを見ておくと、面白さは倍増する。間違いない!
〈メモ〉ロバート・ロドリゲス監督。

*7 「クイール」−オンリーワンワンの魅惑
 正直に言おう。「クー、一緒に歩こうよ!」。のどまで出かかった言葉を、寸止めで飲み込む。危ない危ない。動物映画はこれだから困る。
 笑った後で、泣きました。かわいいね、あのしぐさ―。ってな具合に、予定調和の感動空間が準備されていると知っていながら、動物映画は見たら最後、その磁場から逃れるのは至難の業だ。
 おなかにぶちの模様のある子犬クイール。パピーウオーカーに育てられた後、訓練センターで能力に磨きをかけ、目の不自由な人へと渡される。共におちこぼれの犬と人間が心を通わせていく。
 クイールは特別な犬じゃない。今風に言えば、ナンバーワンじゃないけど、オンリーワン(ワンワン?)なのだな。
 監督は崔洋一。こりゃあ最強だ。「月はどっちに出ている」で人間のアナーキーな姿を活写し、「刑務所の中」では業の深い人間たちの悲喜劇を浮かび上がらせた。
 今回は人間のみならず犬にまで演技をつけた、というのはもちろん冗談だが。生まれたてのクイールがなんともかわいいです。悔しいけど、名取裕子が一緒に寝てしまうのもうなずける。
 だが、地獄への道は善意でいっぱいだ。映画を見て「子犬を飼おう」などと考えないでほしい。にわか愛犬家こそワンちゃんを路頭に迷わせる元凶だから。
〈メモ〉出演:小林薫、寺島しのぶ。

*8 「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽(ゆうひ)のカスカベボーイズ」
     −逃げるな、ひきょー者
 アニメは日本のサブカルの代表だ。邦画賛美のタランティーノの「キル・ビル」でも、女ヤクザのエピソードはアニメで描かれていた。
 今春公開された押井守の「イノセンス」は本欄で触れなかったが、難解な哲学的せりふは評価が分かれても、どのシーンを取っても映像美には息をのむ。すごいです。
 だが!しかし! 日本のメッセージ・アニメと言えば「クレヨンしんちゃん」抜きに語れないのは常識である。大人も楽しめるではなく、大人こそ見るべし!なのだ。
 最高傑作はたぶん二〇〇一年公開の「オトナ帝国の逆襲」だ。一九七〇代のノスタルジーに浸る大人たちに対し、「子供の未来を奪うな」と、しんちゃんが転んでも転んでも疾走する姿には涙があふれるだろう。
 で、本作。映画の魔力が、野原一家を西部劇の世界に誘う。そこにいると、いつしか現実の記憶を失い安住してしまうのだ。その魔界からいかに脱出するか? もちろん希望の星は、「かすかべ防衛隊」である。
 幸せって何。現実って何。本当の自分って何。ってな具合に現代的テーマをびしびしと投げ込んでくる。もし世の中なんて何も変わらんさ、とあきらめているならば、しんちゃんに「逃げるな、ひきょー者」って笑われちゃうぞ。
〈メモ〉水島努監督・脚本。

*9 「CASSHERN」−愛の戦争が憎しみ生む
 あらかじめ言っておこう。この映画を見て「期待はずれ」と思うかもしれないけれど、それは勘違いだよ、って。
 戦闘シーンにふんだんにCGを使い、ハリウッドに負けぬ映像美にあふれたヒーロー映画であることは間違いない。
 でも、宇多田ヒカルの夫で、監督・脚本・撮影の紀里谷和明が圧倒的なビジュアル表現を通じて訴えているのは、戦争のむなしさである。繰り返される問いは「なぜ人は戦うのか?」だ。
 舞台は大亜細亜連邦共和国。世界戦争に勝利したこの国は、戦前の日本の発展形のようだ。だが得たものは荒廃ばかり。人間の体は放射能に冒されていた。解決策こそは人間の部位を自在につくる「新造細胞」だ。
 しかし、救世主となるべき「新造人間」は憎しみを覚え、人類の敵となる。新造細胞で再生したもう一人の「新造人間」キャシャーンに人類の未来がかかる―。
 愛する者のために戦いは始まるが、戦いが生むのは憎しみと狂気だ。すべての優れた戦争映画がいつのまにか反戦映画となるゆえんである。
 現在のイラク戦争は、大義よりもむごさを想起させている。本作に漂うのは世界を支配している重い気分。だが、その感性を手放さない芸術家が誕生した。
 映画の中では言わないようだが、決めぜりふは「キャシャーンがやらねば誰がやる!」だ。主演の伊勢谷友介は透明感あふれる演技が光る。
 〈メモ〉出演:伊勢谷友介。麻生久美子。寺尾聰。

*10 「トロイ」−これぞ!スペクタクル
 だれが言ったか知らないけれど、「壮大なスケールで描くスペクタクル大作」っていうジャンルが、ありますよね。
 「十戒」とか「ベン・ハー」とか「アラビアのロレンス」とか。海が割れるわ、古代の戦車で競争するわのシーンに、初めて見たときは「これぞ映画」と驚きました。
 なにしろ手間ひまかけてカネかけて。銀幕一面に人馬や巨大建築があふれる。最近ではラッセル・クロウがアカデミー主演男優賞を取った「グラディエーター」もそのジャンルでしょうが、迫力はいまひとつでした。
 「トロイ」はその王道を行きます。多くの人が知る古代ギリシャの物語を料理したのはウオルフガング・ペーターゼン。嵐の海を見事に描ききった「パーフェクト・ストーム」の監督です。
 「絶世の美女ヘレン」「英雄アキレス」「トロイの木馬」「オデュッセウス」と、有名エピソードが登場。海上を埋める幾千もの軍艦、燃えるトロイ城内の光景は圧巻で度肝を抜かれます。
 でも一番印象に残るのはブラッド・ピットですね。孤独をかかえた華麗で冷酷な戦士を好演します。悔しいけど…と私が言うのもなんですが、鍛えられた肉体はセクシーです。映画の魅力満載の一編です。
 〈メモ〉出演:エリック・バナ。オーランド・ブルーム。

*11 「69 sixty nine」−若者の黄金時代を活写
 歴史というには生々しすぎて、思い出というには気恥ずかしくて。おじさんは思わず遠い目になってしまう―。そんな時代が一九六〇年代後半から七〇年代初頭だな。
 「世の中変わるぞ」とみんな思っていました。戦後を代表する作家の三島由紀夫だって決起せぬ自衛隊に絶望して七〇年に自殺してしまったのですから。激烈でした。
 舞台はそんな騒然とした六九年の佐世保。米軍基地のマチです。高校生たちは激化するベトナム戦争に心を痛めつつも、一度の青春を燃焼させようとしていました。
 ならば、どうする? 体制を象徴する学校のバリケード封鎖とロック・フェスティバルの決行だ!って。短絡的ですね。ランボオを気取っても、「想像力が権力を奪う」とペンキで落書きしてみても、女の子にモテたい気持ちがありました。
 村上龍の原作に、脚本は七〇年生まれの宮藤官九郎。どたばた喜劇に当事者世代は違和感を覚えますが、社会に異議を唱える若者たちの黄金時代を活写した痛快作です。
 「オースティン・パワーズ」みたいに、「サイケデリック」でポップにならなかったのは日本の地方都市の限界か。ちょっと残念。
 〈メモ〉監督:李相日。出演:妻夫木聡、安藤政信。

*12 「リディック」−強烈な意志を、体を張って
 ヴィン・ディーゼル。この男はすごい。
 特に印象に残っているのは「トリプルX」で見せた型破りのスパイ役。悪をもって悪を征す−とスカウトされたアウトローは、最近手抜きの007のボンドと対照的に、体を張って見せた。
 その一生懸命さが快感を生む。なにしろ、本作はハリウッドの金持ち映画。コンピューターグラフィックス(CG)をふんだんに使い、セットは巨大すぎて、カナダにまで移した。ぜいたく話には事欠かない。
 だが、見終わって残るのは、ヴィンの演技だ。リディックは悪人だが澄んだ目(手術で暗視能力を持つ)なのだ。ニヒルだが「オレは生きたい」という強烈な意志を持っている。しかも困難から決して逃げない。
 物語は宇宙征服をたくらむ悪の組織と犯罪者でお尋ね者との「悪対悪」の激闘史。組織はカルト集団のようでもあり、ニュー・メッカを攻撃するあたりは、現代の十字軍たる某国のようだ。そして、意外なラストに「続編を」という仕掛けだ。
 ヴィンは名作「アイアン・ジャイアント」の声優だ。宇宙からの訪問者は純粋だが、危険な兵器でもあった。正義のヒーローなんてインチキさ。そんな意地を感じさせる男優だ。
 〈メモ〉監督・脚本:デビッド・トゥーヒー。

*13 「マッハ!」−痛い! 本物の超絶武闘
 「燃えよドラゴン」の登場から三十一年−。早すぎる死を迎えたカンフーの達人ブルース・リーはしかし、「アチョー」の雄たけびとともに、その後の武術映画の流れを決定づけた。
 彼の死後、ジャッキー・チェンを頂点にスチーブン・セガールやジェット・リーなどへと格闘系映画は広がるが、彼の天才には及ばなかった。
 だが、時は来たれり。ヒーローは南国タイから熱波のごとく現れた。その名はトニー・ジャー。もう一度。トニー・ジャー。間違いなく格闘映画史に名を残すだろう。
 彼の役はムエタイ(一般的にはタイ式ボクシング)の達人。村の大切な仏像が盗まれたため、村人の願いを背にバンコクに行き、破邪顕正の鉄拳を駆使し悪党と戦う。
 超絶武闘は文句なしの金メダルだ! ワイヤアクションの「マトリックス」など「本物」のムエタイの前では顔色なし。しかも痛い。ビシビシと拳と足が敵に食い込む。自在に人間の肩の上を飛び、狭いすき間を抜け、車の下をくぐる。ジャッキー・チェンへの敬意を忘れてないのもいい。
 農村と都市、アジアと欧米文化の矛盾など苦悩するタイの現在も描いて骨太だ。ヒーロー誕生!見るべし!
 〈メモ〉原案・製作・監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ。

*14 「華氏911」−無双のアポなし取材
 「君の代表作は何?」と俳優が質問される。
 「いろいろあるけど」と考えていると、すかさず「どっきりカメラのあわて顔が一番よかったよね」と言われたら。
 僕ならいやだな。
 チャールトン・ヘストン様お察しいたします。だってスター名鑑を見たら、主な出演作に「ボウリング・フォー・コロンバイン」(〇二年)もある。あれはマイケル・ムーア監督の突撃で、銃社会肯定派として出されちゃっただけなのにね。
 「で、ジョージ。君の代表作は?」「うーむ、華氏911かな」なんてさすがに答えないな。
 ジョージとはもちろんブッシュ大統領。「破壊王」ムーア監督の今回の標的だ。9・ミテロの悲劇の裏で、大統領は何をしていたかを、神聖喜劇ともいうべきエピソードを通じてあぶりだす。
 イラク戦争に世界中の人が疑問を抱いている。テロとの戦いが、なぜフセイン打倒、イラク攻撃となるのか。なぜ貧しい若い兵士が戦場で犠牲になるのか。ムーア監督は高校生のようだ。「なんで、なんで」と絡み合う糸をほぐしていく。
 その答えが正しいか、偏向しているかは見る側の判断に委ねられる。アポなしの突撃取材は圧倒的だ。そこまでやるかを含め、これこそ米国産映画だろう。

*15 「ヴィレッジ」−観客だましの荒技連発
 M・ナイト・シャマラン。今、ハリウッドで一番目を離せぬ監督だ。
 なにしろ「君はもう死んでいるんだよ」というびっくりの結末で観客を驚かせた「シックス・センス」。あれは「アザーズ」なんかと同じく、心に残る怪談話だった。
 だが監督は「アンブレイカブル」「サイン」で期待を裏切る。それでも「何かやるはず」との注目の中での本作。観客の願いはかなったか?
 十九世紀の米国。外界から隔離された無垢(むく、イノセント)の村。そこで起きるなぞの事件。赤は不吉な色。森に入ってはならぬ。警告の鐘に注意。清潔な村には秘密があふれている。
 タブーに挑戦するのは若い男女だ。とりわけ、ヒロイン、アイヴィーが外界へ歩み出す時、均衡は崩れる。そして監督がまたしても、観客だましの荒技を連発しているのに気づかされるのだ。
 暴力に傷つく現代社会批判、愛の物語回復への熱望が、映画には込められているようだ。
 だが、架空のイノセント・ワールドは早晩崩壊するのは目に見えていよう。「村」の現実感の希薄さこそ監督のリアリズムの反映であろうか。
 「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディが狂言回し役だが、これは失敗。封印を解くために立ち上がる青年役のホアキン・フェニックス。ぎこちなさを好演している。
 〈メモ〉出演:ブライス・ダラス・ハワード。

*16 「スウィングガールズ」−さわやかなプチ根性物語
 落ちこぼれの女子高生たちが、ひょんなことからビッグバンド・ジャズを始める青春物語。今風に言えば「チョー、気持ちいい!」映画だ。
 言い出しっぺがいて、それを受けとめる頑張り屋がいて、みんなの心が共鳴する。そんなひたむきな姿を「ダサイ」と言わずに描くのがいい。
 監督は男子高校生のシンクロナイズドスイミングを素材にした「ウォーターボーイズ」でブレークした矢口史靖(やぐち・しのぶ)。今回は「スウィングガールズ」だから姉妹編だ。矢口監督は「アドレナリンドライブ」もそうだったが、徹底したノリの良さが特徴。デビュー作「裸足のピクニック」は日本一不運な女子高生の物語だっただけに、本編でも得意分野での伸び伸び演出が伝わってくる。
 「Shall we ダンス?」(周防正行監督)「がんばっていきまっしょい」(磯村一路監督)などと同系路線。製作のアルタミラピクチャーズの狙いは明快だ。一人ひとりが生き生きとして、共同で何かを成し遂げる喜び。そんな「さわやかプチ(小)根性系」娯楽映画の王道を走る。
 リズミカルな山形弁と素人もここまでやるという吹き替えなしのジャズ演奏も聞きどころ。涙腺が少しゆるみ、映画館を出ると、スウィングしてしまう。
 〈メモ〉出演:上野樹里、白石美帆、谷啓。ジャズ通?のお茶目な教師役に竹中直人。吹くのは楽器よりもホラのほうだが、憎めない。

*17 「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」−妥協なきオタク美学
 監督という種族は根本的にオタクだ。映画を偏愛しているという意味では、本作のケリー・コンランは半端じゃない。
 自宅ガレージで四年間パソコンに向き合って作り上げた六分間の映像。ニューヨークの摩天楼に飛行船が停泊し、ロボットがビルの谷間を行進する―。過去に封じ込めたまぼろしの近未来イメージ。それが評判を呼び監督デビューとなった。
 弁証法によれば、対立物は相互浸透する。すなわち、映像技術の進歩により、アニメが実写に近づく一方で、実写もまたアニメに近づく。公開中の「ポーラー・エクスプレス」は実写のようなアニメ。本作は実際の俳優が登場していてもアニメのような出来なのだ。
 デジタル処理で、ほとんどのシーンはソフトフォーカスのレトロな色調に統一された。ジュード・ロウとグウィネス・パルトロウも合成された素材の一部だ。ロボットも飛行機も細部までオタク監督の妥協なき美学が貫徹されている。
 物語はマッドサイエンティストが終末論的な妄想から怪事件を起こすのを、空の英雄がインディ・ジョーンズのように大活躍する冒険活劇だ。
 人物も装置もどこかで見たという既視感が懐かしさをも増幅させる。感動はしないが、十二分に楽しめる。
 ロボットが街を襲う。なんて卑劣な!と思っていると、正義の味方登場。絵に描いたような筋書きだが、ハラハラする。

*18 「Shall we Dance?」−話のタネになる映画
 ご存じ! 周防正行監督の「Shall we ダンス?」のリメーク版だ。監督のアイデアに敬意を払い、ほとんど原作どおりの仕上がりだ。
 「それなら、周防版を見ればいいじゃないか」という気もするのだが、やはり英米文化圏の中に置き換えたいというのがハリウッドである。
 遺言書作成が仕事の中年弁護士。妻子に恵まれているが、心にすき間を抱えている。毎日、車窓から見上げるダンス教室には憂い顔の美女が…。戸惑いながらもダンスを始める。多くの出会いとすったもんだの末、今の生活の価値を再発見するというストーリーだ。
 ダンスが素晴らしい。リチャード・ギアもジェニファー・ロペスもカッコいい。ジェニファー・ロペスと踊るリチャード・ギア。美女に下心を指摘されても、プライドを捨てない男の役がピタリ。
 豊かな生活に満たされず、別の世界に踏み出す感覚に説得力があるのだ。ただ、心理描写では圧倒的には周防版のほうがいい。草刈民代も新鮮で美しかった。
 と、ここまで書いて、この映画の居場所がよくわかった。周防版とハリウッド版はペアで見られるべきだ、と。両者は日米の文化や思想や感性を比較する上で絶好の鏡であり、教科書なのだ。
 映画の出来とは別に、今後多くの場でギアと役所広司の共通性と差異などが語られるだろう。まさに話のタネになる映画の誕生か。
 〈メモ〉ピーター・チェルソム監督。

*19 「マイ・ブラザー」−兄弟愛とがっぷり四つ
 親方の死で噴き出した相撲界の名門一家の騒動を見るにつけ、人間関係の難しさを思う。理想の兄弟がなぜ仲たがいし離れていくのか。
 暗たんたる思いを振り払うには、心に迫る作品を見るに限る。選んだのは韓流。かの国には日本人が失った一九六〇年代の一途さが残っている。
 頭が良く、文才もある兄と、乱暴でけんかに明け暮れる弟。二人は母の手で育てられ、父はいない。反発しながらも、母を愛する気持ちと互いを思う気持ちは同じだ。
 そんな時、詐欺に遭った母親を助けようと、弟は借金取り立ての仕事を始める。それが思わぬ悲劇を招いてしまう。兄弟愛、家族愛をがっぷり四つの姿勢で描いているのが潔く心地よい。
 弟を韓流四天王の一人ウォンビン、兄をシン・ハギュン、母をキム・ヘスクが、それぞれ熱演している。優等生の兄(シン・ハギュン)やんちゃな弟(ウォンビン)。ありがちなキャラクター設定だが、しっかりとした演技が好ましい、ウォンビンはこの作品を最後に兵役に入るそうだが、学生服姿はほれぼれするほどだ。
 ラストの少し前。校庭を自転車でグルグル回るシーンに、北野武監督の「キッズ・リターン」を思い出した。「おれたちもう終わっちゃったのかな」「バカヤロウ、まだ始まっちゃいねえよ」という名セリフがよぎる。映画は映画を呼ぶのだ。
 〈メモ〉アン・クォンテ監督。

WEEKLY  TODAY'S CINEMA 1  2005~2006 へ


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