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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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Private闘病記2・悪性リンパ腫

入院記録〈2015年3月26日〜〉

■2015年3月26日(木曜日)
間近に迫った特別展の準備のために、毎日資料整理など準備に追われていた。
25日も、自宅に戻ってから、ストーブの前で夜遅くまで原稿を書いていた。
そして眠りにつき、夜が明けて、異変に気がついた。
首の右側がぼっこりと腫れているのである。
リンパ腺である。痛くはないが異常事態であることは見ただけでわかる。
それでも、仕事に時間がない。
普通通り、というよりも普通よりも早く午前8時過ぎには職場に出勤した。
一日働き、午後5時前に首の異常の話を幹部職員に話して、病院にかかることにする。
かかりつけのF内科は先生が午後から不在になったということで、
やむなく電話がかかった北1条西4丁目のT内科に行く。
S先生は大変親切で、良く診てくれた。
入れ歯であるから歯からきたことも考えられるとして隣の歯科も紹介してすぐ診てもらった。
レントゲンを撮ったが歯には異常なし。歯石をとってもらう。
S先生は様子見に来られ、
「耳下腺炎とかそういうものかと思うが、もし腫れがひかないようであれば、
明日、診察が始まる前でいいから、電話をしなさい」と言ってくださった。
とりあえず、抗生物質と鎮痛剤をもらって帰る。

■2015年3月27日(金曜日)
腫れは朝起きても引いていない。
T内科に朝一番で出かけると、先生が待っていてくれて、
「大丈夫と思うが、専門医に診てもらったほうが良い」とのことで、J病院に連絡を取ってくれる。
その足で病院に行く。
内科か耳鼻咽喉科かで若干手間取るが、最終的に耳鼻咽喉科のM医師に診てもらう。
採血、CTなどを受ける。鼻の中をカメラで覗く。
とりあえず、喉は溶連菌に感染しているので、その抗生物質をもらう。
一週間様子見である。

■2015年4月2日(木曜日)
J病院耳鼻咽喉科で医師の再診を受ける。妻も今回は一緒である。
MRI検査やエコー検査をする。やはりよく分からないと言うことで、
右首と鼻の奥(アデノイド)に針を刺し、生検を行う。結果は一週間後に出るとのこと。

■2015年4月10日(金曜日)
J病院でM医師の三診を受ける。
「鼻の奥の生検で細胞から腫瘍が見つかりました。悪性リンパ腫です」と説明がある。
「それは癌、本物の癌ということですか」と聞くと、「その癌です」という。
「大変な病気ですか」と訊くと、
「そんなにひどくはないのですが、やっかいな病気ですね。長引くかもしれません」と言う。

悪性リンパ腫はJ病院では手に負えず、
「専門病院に行く必要があり、札幌ではH病院かS病院になりますが、どうしますか」と言うので、
H病院は家から少し遠いので、S病院を選ぶことにする。
ただ、S病院は父親が「簡単な手術です」と言われて、心臓の手術を受けたものの、
失敗して目が覚めずにわずか一週間で亡くなっている。それが気になったが、やむを得ない。

■2015年4月18日(土曜日)
今日は展覧会のオープニングであるが、
前日夜に知人が車にはねられ、意識不明の重体で手稲の病院に担ぎ込まれている。
オープニングは作家ご遺族、出版社の編集者、文学関係者など60人ほどが参加して大盛況。
なんとか倒れずに、展覧会の開催ができた。やり遂げた、後は闘病するのみだ。

■2015年4月21日(火曜日)
J病院のM医師の紹介状、CDなどをもって、S病院の腫瘍・血液内科を受診する。主治医が決まる。
「癌ですか?」と訊くと、「癌です」と揺るがず。
がん保険の診断給付金を申請する手続きをお願いをする。 採血と入院予約をして帰る。

■2015年4月26日(日曜日)
作家の文芸講演会。100人が参加して、にぎやか。

■2015年4月27日(月曜日)
先日、脳梗塞で3週間近く入院した知人のアドバイスで、札幌駅の北口側にある「きょうかい健保」の事務局に行って、医療費の限度額認定の認定証を発行してもらう。
手続きをしていなかったので、26万円も取られた人もいる。月額支払いは楽になる。

■2015年4月28日(火曜日)
長年使ってきた、携帯電話(ガラケー)をやめて、ソニーのXPERIA-Z3 COMPCTに変える。
これで入院後はXperiaでネットをすることになる。

■2015年4月30日(木曜日)
きょうは渡辺淳一さんの命日の「ひとひら忌」。
午後から病院に行って、ペットCT検査をする。全身を造影して、癌の転移状況を見るものだ。
「がん診断書」があがる。順調に行けば、がん見舞金が降りる。

■2015年5月5日(火曜日)
展覧会はなんとか人出が順調。あす6日から連休かつ入院体制である。

■2015年5月7日(木曜日)
がん保険の連絡を受けて見舞金入る。
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ここから入院記録に入る。――――――――

■ 2015年5月8日(金曜日) 入院1日目。
天気良し。Yさんに電話。シャワー浴びてからS病院へ行く。
妻も同行して、10時半に入院手続きをする。 北病棟T階E号室となる。
新人看護師が採血、問診など担当する。看護助手さんが院内案内。
心電図とレントゲンを撮る。H医師に同意書書かされる。

■2015年5月9日(土曜日) 入院2日目。
外泊許可が降りているので、10時に病院を出て、MS大通に寄る。異常なし。
ドライヤーを取って、自宅に戻る。ガストの宅配で昼食。

■2015年5月10日(日曜日) 入院3日目。
Rさん来る。イオン札幌元町店へ行く。妻のズボン、シャツ類を買う。
戻って、昼食を摂り、病院に戻る。

■2015年5月11日(月曜日) 入院4日目。
午前10時半にK教授の総回診。月曜日恒例とか。
医療関係者20〜30人がぞろぞろと続く。妻来る。
午後4時に主治医、診療医、女医、研修医来る。
Yさん夫妻来る。心電図エコー検査する。

■2015年5月12日(火曜日) 入院5日目。
妻とその友人来る。
午後2時から「骨髄穿刺」を行う。処置室で。骨髄液と組織を採取する。

■2015年5月13日(水曜日) 入院6日目。
朝6時12分に東北で震度5強の地震。
注腸食になる。
主治医、U、T医師。採血は異常なしとか。
心臓エコー検査結果について、EFが59%で55を超えている。
弁4つも異常なし。弁膜症なし。肥大もない。
ということで、心臓機能は人並みで、癌治療の化学療法に耐えられるとの診断。

■2015年5月14日(木曜日) 入院7日目。
朝から2リットルの経口腸管洗浄剤「ニフレック配合内用剤」を2時間で飲み、排便する。
味の素の入った塩水という感じである。
10時頃から大腸内視鏡(カメラ)と胃カメラ検査を受ける。いずれも異常なし。

■2015年5月15日(金曜日)  入院8日目。
骨密度検査、脊椎レントゲンを撮る。
S、U、M医師。採血、異常なし。Sさん夫妻のお見舞いを受ける。
妻をポーラ化粧品に行ってもらう。1万5000円。
職場のSさん、Tさん見舞いに来る。

■2015年5月16日(土曜日)  入院9日目。
外泊許可が下りて、MS大通を確認。
ユニクロでカーディガンとTシャツを購入。自宅に戻る。ガストの宅配。

■2015年5月17日(日曜日)  入院10日目。
東光ストアで妻と買い物。 午後、Sさんが来る。午後7時までに病院に戻る。

■2015年5月18日(月曜日)  入院11日目。
朝10時半に回診。いささか規模小さい。
マントル細胞型の悪性リンパ腫は珍しいらしい。
学生にも教えましょう、しっかり治療します、とのこと。
午後2時20分頃、IVH(点滴チューブ)を1階でU、T医師に入れてもらう。
妻とその友人来る。Yさん来る。
午後5時から主治医による治療説明。

病名は悪性リンパ腫。非ホジキン型。マントル細胞リンパ腫。
病気はステージ4段階の「2」。 
上半身2カ所以上。右首1、左首2、上咽頭にある。


数少ないリンパ腫で進行は月単位、治りにくい。R-CHOP療法プラス放射線照射。
1コース3週間。

■2015年5月19日(火曜日)  入院12日目。
体重63キロ。抗癌剤の投与始まる。
アレルギーのサクシゾン・クロールトリメトン。30分。抗がん剤のリツキサン。4時間点滴。
ベッドが入り口から窓側に移動する。ラッキー。
熱冷ましのアセトアミノフェン原末3回内服。妻来る。
夜中に不整脈と無呼吸で、看護師が調べに来る。

■2015年5月20日(水曜日)  入院13日目。
抗がん剤2日目。
吐き気止めの錠剤イメンドカプセル125mg飲む。吐き気止めのグラニセトロン、30分。
抗がん剤ドキソルビシン、30分。抗がん剤オンコビン、5分。抗がん剤エンドキサン、3時間。
兄、白老から出てくる。妻と会う。新聞社のNさん来る。
夜、眠れずにトイレに三度起きる。

■2015年5月21日(木曜日)  入院14日目。
朝、血液が出来なくなっているというAさん退院して、旭川の日赤へ。
放射線科の受診。首肩鼻に20回は照射することになる。
妻と昼食。姉からマット届く。便秘症状が出て、昼と夜に下剤を飲む。

■2015年5月22日(金曜日)  入院15日目。
下剤が効いたのか、朝、硬い便から軟らかい便に変わる。
夜、同室のNさん処置でいなくなる。酷い下痢が続く。
放射線科で頭頸部固定シェルを作ってもらう。まるでデスマスクだわ。
治療の前途はかなり厳しそうだ。
吉本隆明さんの家に行った夢を見る。

■2015年5月23日(土曜日)  入院16日目。
アンドロイド携帯スマホに日本語変換を効率化するためにATOKを導入する。
妻にヤマダ電機に行ってもらい、ポータブルのdvdプレーヤーを買ってもらう。

■2015年5月24日(日曜日)  入院17日目。
便秘が続いて苦しい。妻が帰った後に、室蘭からYさん見舞いに来る。娘さんも一緒だ。
外出許可をもらう。職場に寄る。東京から講演会に来てもらったGさんに挨拶。
その後、自宅に戻って、物の整理をする。
大相撲夏場所は照ノ富士が12勝3敗で優勝する。まもなく大関である。

■2015年5月25日(月曜日)  入院18日目。
便秘解消せず。午前中に歯科受診。
若手歯科医師にみてもらう。なんとか歯は抜かないで済みそうだ。妻が合流。
午後、第四放射線治療室で、首のCTを摂る。
茨城県で震度5弱の地震。
主治医、T医師。特に異常なし。

■2015年5月26日(火曜日)  入院19日目。
特段のことなし。便秘解消が嬉しい。
妻とその友人来る。2人でMS大通の掃除をしたとか。
網野善彦さんに刺激され、一遍上人の本をアマゾンに注文する。

■2015年5月27日(水曜日)  入院20日目。
白血球を増やす注射をする。妻。Nさんから話を聞く。

■2015年5月28日(木曜日) 入院21日目。
白血球を増やす注射2回目。手の親指が痺れる。
午後、口腔外科でK医師に歯の固定をしてもらう。約2時間。
戻ると、Yさん夫妻が来る。妻と合流して、1階でお茶を飲む。

■ 2015年5月29日(金曜日)  入院22日目。
白血球注射3回目。妻。外出許可下りず。U、T、M医師来る。
チームSはU医師だけになるとのこと。
鹿児島県の口之永良部島の新岳が噴火、火砕流発生。全島避難となる。

■2015年5月30日(土曜日)  入院23日目。
白血球注射4回目。妻。
午後8時24分頃、小笠原諸島の西方沖を震源とする
マグニチュード8・5の巨大地震があり、母島と神奈川県二宮町で震度5強を観測した。

■2015年5月31日(日曜日)  入院24日目。
昨日の夜から、胃が痛い。特段の手当てしてもらえず。
白血球注射5回目。
妻。面会の人が多い。向かいのIさんは切れない肝臓癌、
隣のYさんは切れない胃癌、肝臓癌など、
ひどい病気の人が多くて大変である。
だんだん病気と病人世界に馴染んできたことに恐怖を覚える。

■2015年6月1日(月曜日)  入院25日目。
HBCラジオで展覧会の紹介。うれしい。
総回診。
白血球注射6回目。採血の結果、白血球は戻っているとのこと。
妻とその友人来る。
髪が抜け始めたので、床屋で短くしてもらう。
午後から、放射線科で写真撮影。治療は明日からのようだ。

■2015年6月2日(火曜日)  入院26日目。
脱毛が急速に進んでいる。もはや風前の灯火である。
午後から頸部の造影CT撮影をする。
その後、放射線治療の第1回を受ける。大きな実感がない。
妻は2回見舞い、Yさんも来る。
放射線照射の緊張か、夜中、肩が凝る。声が涸れる。

■2015年6月3日(水曜日) 晴  入院27日目。
髪の毛の抜け落ちと、手のしびれが進行している。
午前中、2回目の放射線照射。その後、医師の診察を受ける。
腫瘍はずいぶん小さくなっているとのことである。
しかし、血液検査で「アミラーゼ」が812に上がっている。膵臓だ。
膵炎の疑いありだ。再度採血をする。その結果を医師が連絡に来る。
リパーゼとかに変化がないので、膵炎ではないだろうとのこと。
妻、室蘭のおばちゃんが大通に移るとか言っているので困ったとのこと。
疲労。
看護師が口をうるおすうがい薬を作ってくれる。
なにか口が渇いて、唾液が出なくなったのか、ご飯が食べづらくなる。

■2015年6月4日(木曜日)  入院28日目。
髪の毛が抜けるのがうざったいので、朝飯後に床屋に行って髪を切ってくる。
その後、休養。本を読む。
11時に放射線科で3回目のX線照射。
昼ご飯はなんとか食べられる。少し根気が落ちてきたようだ。
妻、梅干し持ってくる。

■2015年6月5日(金曜日) 入院29日目。
鼻水が出る。風邪っぽい。採血する。
午前10時過ぎに放射線照射を受ける。
妻来る。昼食。シャワー浴びる。その後、休む。妻再来。
病室は出たり入ったりで慌ただしい。
外泊の許可がでる。夕方、若干の吐き気を覚える。夕食は食べきれず。
 
■2015年6月6日(土曜日) 入院30日目。
6日午前10時に病院を出る。タクシーに待ってもらって、MS大通に寄る。
妻とその友人が掃除してくれたということで、綺麗である。
その後、自宅に戻る。洗濯をしたり、片付けをする以外は何もせず、休む。

■2015年6月7日(日曜日) 入院31日目。
妻と朝9時半に自宅を出て、狸小路を歩く。
紅屋やドンキ、名取川などで買い物をする。昼食のカレーライス、妻は月見そば。
夕方、早めの宴会。ビン缶ペットのゴミを出して、病院に戻る。

■2015年6月8日(月曜日)  入院32日目。
朝、採血3本。妻来る。
放射線照射治療5回目。
兄、M記念病院受診の後、見舞いに来る。家の直しをしたそうだ。
妻、高橋のお母さんを見舞う。元気らしい。
夕方、37・1度と微熱が出る。寒気。寝ていたら収まる。

■2015年6月9日(火曜日) 入院33日目。
体重測定61・6キロ。
病室の皆さんはYさん30、私63、Aさん76のほか、
Iさん、Kさん、Oさんは80〜81歳という高齢者である。やはりというか。
放射線科でX線照射6回目。抗癌剤投与第2クール。
アレルギー予防のサクシゾン・クロールトリメトン。30分。抗がん剤のリツキサン。4時間点滴。
熱冷ましのアセトアミノフェン原末3回内服。
妻に入院費を払ってきてもらう。
入院代、歯科診察料、PET検査料など合計で142,487円である。
夕方、妻に日清のどん平うどんを作ってもらう。うまい。


■2015年6月10日(水曜日)  入院34日目。
抗がん剤第2クール2日目。
吐き気止めグラニセトロン30分。ドキソルビシン30分、オンコビン5分、エンドキサン3時間。
吐き気止め毎朝イメンドカプセル服用。
15時から放射線治療7回目。
その後、K医師の診断を受ける。AKBの前田敦子さん似。私感であるが。
Sさん、Tさん見舞いに来る。資料など持ってくる。
妻が昼、夕見舞いに来る。夕食、吐き気で食べられず。

■ 2015年6月11日(木曜日) 入院35日目。
のどが痛い。つばがひっかかる。吐き気止めイメンドカプセル。
放射線治療8回目。
14時から口腔外科に行くが、40分待たされる。ジェルをもらう。
口腔内保湿ジェルの明治「オーロラコート」1836円を買う。
妻、昼、夕来る。
ご飯はあまり食べられず。不調。つばがでないのが痛い。

■2015年6月12日(金曜日) 入院36日目。
あまり食べていないせいか体重落ちる。61・5キロ。昨日より1キロのダウン。
便も出方が少ない。吐き気止めイメンドカプセル。
放射線照射9回目。
シャワー浴びる。
Wさんから花が届く。部屋に置けないので、ナースステーションに飾られる。
主治医、医師来る。2回目まで抗がん剤をやって順調。
治療は4回やるのがいい。3回目までは当病院でやるが、4回目以降は転院となる。
その場合はH札幌病院で続けてもらうとか。
(H札幌病院は末期の人が行くところ−と患者の間では評判がよろしくない)
外来でやることもできるが、2日間は点滴があるし、
5回は白血球注射があるので、大変だから入院のほうがいい。
外来となるとチューブを付け替える必要がある。
3回で辞めるという判断もある。
(6回やって治るのか)それは神のみぞ知る。治っていないなら、次の手を考える。
Yさんから電話。

■2015年6月13日(土曜日)  入院37日目。
体重61.4キロと痩せる。微熱で36.9度まで上がる。喉が痛い。
妻来る。
久しぶりのナースKさんが色々と気遣ってくれる。
口内炎が進行中で吐き気もあり、食べられない。
一応、パン食に変える。
妻が私の母が世話になったSH病院のM理事長に電話したとか。
折り返し、夫人から電話があったそうだ。

■2015年6月14日(日曜日)  入院38日目。
食欲進まず。61.5キロ。
医師来る。乾かないうがい薬を新たに調合してもらう。
妻、来る。Yさんご夫妻来る。
セカンドオピニオンの説明を受ける。
職場のことなどを言って、第三クール終了後に受けるか。N病院あたりで。
妻がHさんに電話したら、義母の入院したときに、
おばさんが「お見舞いを一銭も出さなくていいと言った」とか、もめる。
相変わらず親戚が絡むと、ろくなことがない。

■2015年6月15日(月曜日)  入院39日目。
体重61・4キロ。喉が痛くて、食事が摂れない。
午前中、総回診。順調と言うことか。妻来る。
放射線治療10回目。なかなかしんどくなってきた。
Uナース、Sナースなどの応援あり、うがい薬に痛み止めを入れることで
かなり楽になる。
姉から熊本名物らしいデコポン・ゼリー来る。
主治医、医師来る。のどが痛いと訴えると、退院は難しいか、という。

■ 2015年6月16日(火曜日)  入院40日目。
体重61.3キロ。
のど、食道の粘膜を保護する飲み薬をもらう。ゼリーのようなもの。
放射線11回目行う。喉が痛い。
Iさんが見舞いに来てくれる。小間物とメロンほか。
U先生、特になし。
夜37.7度の熱が出る。隣のAさんは38.7度。なんだろう。
ロキソニンをもらって休む。

■2015年6月17日(水曜日)  入院41日目。
体重61.0キロ。やはり食べられないのが体重減少につながっている。
36.8度。男性看護師は熱がないという理解。
便も細くなっている。
白血球注射2クールめの第1回。
Oナース。食事を軟らかくすることを提案。そうすることに。
放射線治療12回目。医師の診断。
鼻の奥はきれいになっている。首のリンパも小さくなっている。
がんばりどころという判断。
妻はIさんのメロン持ってきてくれる。夕方、Sさん見舞いに来る。

■2015年6月18日(木曜日) 入院42日目。
体重は61キロを割る。
痛み止めカロナールを飲み始めたが効いているのかいないのか。
白血球注射の第2回。
放射線治療の第13回行う。口の中がボロボロである。
午後、37度超えの微熱続く。
Kさん家族3人見舞いに来る。
先生来る、熱と口内炎のことを話す。今ひとつ。
妻2回来る。
夕食のおかゆを吐く。最悪。Hさん、見舞いに来る。
夜、くしゃみをしたら、口の中の血管が切れてしまう。最低である。

■2015年6月19日(金曜日)  入院43日目。
朝、ヨーグルトを少し摂取する。なんとか収まれば良いが。
白血球注射3回目打つ。
放射線治療14回目実施。
妻にポーラに行ってもらい。アラビール最後の3本購入する。
主治医、医師。痛みがひどいので、モルヒネ塩酸塩シリンジで投入することになる。
向かいのKさん処置で大変そう。隣のAさんは転院でもめる。
午後8時からNHKの渡辺淳一特集を見る。なんともまだるっこい田舎くさい手法。

■2015年6月20日(土曜日)  入院44日目。
便は出ず。
糖尿病薬を止めたので、血糖値計りインシュリンを2単位ずつ打つことになった。
白血球注射は4回目を打つ。
37.9度の熱が出る。ロキソニンもらう。採血する。
妻、元気に2回来る。Nさんから手縫いの布をもらう。夜も微熱が続く。

■2015年6月21日(日曜日)  入院45日目。
展覧会はきょうが最終日だが、出られない。
血糖値200以下ならばインシュリンを打たず。
先生に喉の件を話す。37.5度。
白血球注射5回目打つ。
妻がバンダナ買ってきた。
寝汗38度超えで休養する。なぜかドタバタ。
アイスノンとロキソニンで対応。
Yさんの息子で医師のD先生見舞いに来る。

■2015年6月22日(月曜日)  入院46日目。
61.6キロ。37.6度。ロキソニン。
便秘が3日間続いている。困ったことだ。
准教授の総回診。特段のことなし。痛いときは言ってくださいとのこと。
放射線治療第15回を受ける。
主治医、医師。CRPという炎症反応が上がっているとのことで、
喉がひどいせいか。モルヒネふやす話なども出ている。
美術館のS氏が見舞いに見える。お菓子をもらう。
夜、熱が出て、困る。

■2015年6月23日(火曜日)  入院47日目。
相変わらず便が出ない。トイレを汚す人がいて困る。
その後、便がやっと少し出る。体重は60.6キロ。
評価の頸部CT検査をする。
その後。放射線照射16回目。

■2015年6月24日(水曜日) 入院48日目。
眠い。
放射線治療の第17回を受ける。
医師の診察を受ける。
小さくなっている。続けた方が良い。あと後悔しない。
カンファレンスを開いて、あした結論協議。
主治医、医師と治療のことでいろいろ相談する。
保険の件や、出勤日のことなど。

■2015年6月25日(木曜日) 入院49日目。
病院は祝/開学65周年。放射線治療は第18回を終える。
医師と相談して、あと3回放射線治療を行うことにする。
最終的には23回。木曜日の7月2日まで。

■2015年6月26日(金曜日) 入院50日目。
放射線の治療第19回を終える。体がだるいので寝ている。
昼ナースはKちゃん。親切だが、まだ少し初心者。
東芝ダイレクトからダイナブックN41という機種を70200円で買う。
後で見たらメモリーは2ギガ。少し弱いが基本は文書作成なので、良しとする。
マック生活を続けたが、どうもやはりマックは中途半端に使いづらい。

■2015年6月27日(土曜日) 入院51日目。
なんとか便が今日も少しであるが、出る。
前夜は向かいのUさんは咳が酷い。
入り口のOさんは口が痛い、下剤は飲まないと文句たらたら。
A君は移植手術を受けるらしくて、不安が高まっている。
Yさん親子が見舞いに来る。
とりあえず状況を説明する。なんとなく、これまでの通りで良さそうな印象である。
タクシーで中島公園に行く。 文芸の原稿を書く。
自宅に戻る。平穏なり。
トイレで用を済ませる。妻に送ってもらい病院に戻る。
夕方、少し吐き気を覚える。
Oさんが「インシュリンはどうした」と夕方、恒例のクレーム。
看護師に、きちんと対応するようにアドバイスする。
その後もクレーム続くが、なんだかなあ。

■2015年6月28日(日曜日)  入院52日目。
Oさんに朝、先生からきっちりと指導。
インシュリンの確認メモなど書かされる。しばらく静かになる。
洗濯をする。
サッカー女子ワールドカップは日本がオーストラリアに1−0で勝つ。にぎやか。
食欲はさっぱり進まない。
着替えて、試験外出2日目。まず、ユニクロに寄ってシャツを買う。
その後、仕事をする。Hさんに展覧会のご挨拶。
自宅に行く。ゴミの片付けなどをする。歩いて狸小路でバンダナ2本購入する。
病院に戻るが、夕方、吐き気がひどくなる。吐き気止めをもらうが今ひとつである。
ちなみに放射線焼けをした顔から首にかけて、
保湿剤ビーソフテン(日医工)、ステロイドキンダーベート軟膏(クラクソ)を処方、火傷に追いつかず。

■ 2015年6月29日(月曜日)  入院53日目。
雨模様の天気である。一太郎15を1万3000円ほどで購入する。期待大。
吐き気が続いており、薬をもらう。妻来る。
午後1時半から放射線治療の20回目を実施する。
本来はこれで終了であるが、完全殲滅に、あと3回実施するので、写真を撮る。
兄、N記念病院で脳外科の検査を終えて立ち寄る。異常なしとのこと。
スマホに関心があるらしく、ほしがっているのでドコモのXperiaを勧める。
A君は別の部屋に移ったらしい。
Oさんは久しぶりに、インシュリンの督促をして、医師、看護師と揉める。認知症気味である。

■2015年6月30日(火曜日)  入院生活54日目。
便が出ない日となる。案の定である。体重60.1キロと微妙である。
抗がん剤治療の第3クール始まる。
点滴でレルギーを予防する薬。サクシゾン・クロールトリメトン投入。
抗体に働くリツキサンを3時間投入する。
実習生が来る。看護学科4年生のTさん。
放射線治療は21回目に入る。

■2015年7月1日(水曜日) 入院55日目。
第3クール抗がん剤治療2日目。
吐き気止め変えてアロキシ。ドキソルビシン30分、オンコビン5分、 エンドキサン3時間。
吐き気止め毎朝イメンドカプセル服用。
放射線治療22回目。
その後、医師の診断を受ける。順調ということで、今回をもって終了。
20回が、23回となるところを痛み分けで22回となる。
デイサービスで食事をしていると主治医が来る。
新しい薬ができたことでもあり。あと1回実施も。
パソコン東芝ダイナブック、カスタマイズ。一太郎15早く来い!!!!

■2015年7月2日(木曜日)  入院56日目。
本日から新しいダイナブックで原稿を打ってみる。
眠い一日で、やる気が起きない。
なでしこジャパンのサッカー娘が2−1でイングランドに勝って決勝へ。
妻の友人が不調の様子。夜は。パソコンで時間つぶし。

■2015年7月3日(金曜日) 入院57日目。
朝からパソコンをカスタマイズ。
放射線の副作用で、口の中が痛い、声がれがするという状態が続く。
室蘭から妻の友達のKさんが見舞いにやってくるが、なんだか大変そうである。
主治医、病気はよくなっているとの認識。

■2015年7月4日(土曜日)  入院58日目。
午前4時前に目が覚める。 展覧会の礼状をしたためる。
妻、朝早くにやってくる。びっくりである。ひとまず三越に行ってもらう。
午後、昼食を摂っていると、旭川のK館長が見舞いに来た。
食べろ、というのがアドバイスである。

■2015年7月5日(日曜日)  入院59日目。
体調は今ひとつ思わしくない。天気は久しぶりに青空が見える。
妻、来る。デイルームで懇談。午後、Yさん面会に来る。
妻を送っていただく。その後、パソコンのメール設定などに苦労が続く。

■2015年7月6日(月曜日)  入院60日目。
きのう、隣の患者が朝が早いとか、音がうるさいとか文句。
一応、そうならないように気配りをする。面倒なことだ。
パソコンメール設定がなんとかクリアする。よかったよかった
朝、総回診。やはり皮膚の様子がひどいようだ。
主治医、医師も姿を見せる。
カナダのサッカー女子ワールドカップ決勝戦で、
なでしこ日本はアメリカに2−5で敗れて準優勝にとどまる。どうにもアメリカは強い。
看護実習生の提案で、手の指と足の指の温浴マッサージを受ける。
妻、薬局に寄ったついでに、狸小路へ。シャワーを浴びる。
夕方、主治医と医師の二人来る。血液検査の結果をみても異常なし。
炎症反応も落ちている。14日のCT検査も中止となる。
第3回のクールが終わり次第、退院の方向。
2、3ヵ月様子を見てから、PET検査をする方向となる。ラッキー。
とにもかくにも退院の方向性が見えてきた。これからが正念場である。

■2015年7月7日(火曜日)  入院61日目。
きのうの退院見通しから一夜あけてまずはすがすがしい。
パソコンの設定など老人仕様に直す。便はでない。洗濯をする。
歯科口腔外科で歯のケアをしてもらう。異常ないが、荒れている。
実習生が鬱陶しい。
秀丸エディタを窓の杜(ベクター)からダウンロード。カスタマイズして原稿を書けるようにする。
受付に入院証明書をもらいに行く。書き直しをお願いしてから一週間。
コピー取り、がん保険請求書を出す。モルヒネを減らしたせいか、のどが痛い。

■2015年7月8日(水曜日)  入院62日目。
便が少し出る。
白血球注射第1回をする。
妻、排水周りの掃除を見届けて来る。
声が涸れて出ないのは、薬を減らしたせいか。
最後の表現集をまとめる準備を進める。
食事をバラエティーに変えて、少し食べられるようにする。

■2015年7月9日(木曜日)  入院63日目。
顔から首回りの皮膚の痛みが激しい。
朝ご飯を食べたが、吐くことに。やはりモルヒネを減らしたせいだろうか。
6月分の入院費12万505円なり。妻に北洋銀行で支払ってもらう。
白血球を増やす注射2回目する。
妻、かかりつけ病院で薬をもらってから来院、一度帰る。
実習生来る。
午後、寝ていると元同僚のKさんが見舞いにみえる。世間話などする。
妻、来る。やや疲労の色が見える。

■2015年7月10日(金曜日)  入院64日目。
採血とかあるが、平穏な金曜日。
向かいのUさん、退院となるようだ。今ひとつ、すっきりしない。
吐き気がして食事ができないので点滴注射をする。
白血球増やす注射3回目。

■2015年7月11日(土曜日) 入院65日目。
坂本資料の件で問い合わせ。
白血球増やす注射4回目。妻に頼み、テッド連れて帰ってもらう。

■2015年7月12日(日曜日)  入院66日目。
昼、香水の臭いで女性患者が騒ぐ。案の定、夕方、犯人捜しが始まる。
石狩のK君から文学賞の目処がついたとのメールが入る。

■2015年7月13日(月曜日)   入院67日目。
快便。朝ご飯の後に吐く。妻は1時前に来ることになった。
6月19日から入れていたモルヒネ塩酸塩の点滴をはずすことになった。
H病院に転院したNさんが6月29日に亡くなっていた。
奥さんから妻に電話が入った。檜山管内の人で、68歳だった。

■2015年7月14日(火曜日)  入院68日目。
快便。Kさんにカタログ頼む。
排便3回。4回目に下痢。
先生。調子聞かれる。外来の流れ。
妻、来る。Nさんに香典を送る。保険の連絡あり。
咳が出るので、夕方、咳止めのアストミンもらう。
経口栄養剤のエンシュアを飲む。

■2015年7月15日(水曜日)   入院69日目。
咳と興奮で今一つ眠れず。下痢が治らず。
妻が東芝ダイレクトから届いたダイナブックkiraを持ってきてくれたので、半日かかって設定する。
Sさんが見舞いに来る。ストレスでやはり心筋梗塞が起き、1週間入院したとのこと。
Y君見舞いに来る。

■2015年7月16日(木曜日)    入院70日目。
下痢続く。下痢止めのロペミンカプセル飲む。
取材コンテ書く。快気挨拶状を書く。
妻、来る。気分転換。自己史調べるために、横浜や東高校、新聞の記事調べよう。
首の傷は癒えてきた

■2015年7月17日(金曜日)  入院71日目。
不眠。ぜんぜん薬も効かない。

■2015年7月18日(土曜日)  入院72日目
外泊の許可がおり、自宅に戻る。狸小路に行く。はこいちの寿司。
夜、寝汗でる。

■2015年7月19日(日曜日)  入院73日目
職場に出る。

■2015年7月20日(月曜日)  入院74日目
海の日。三越で商品券を買う。選択する。
職場に行く。お茶とクッキーを食べる。
午後7時前に病院に戻る。

■2015年7月21日(火曜日)  入院75日目
夜、寝汗かく。体重57・4キロに落ちている。6キロ痩せた。
先生。特になし。亡くなったNさんの香典返し届く。
室蘭のおばからもらったミロのビーナス(偽物)捨てる。

■2015年7月22日(水曜日)  入院76日目
遺言作品集の編集をする。放射線科で医師の診察を受ける。
主治医、先生来る、24日には退院がOKとなる。

■2015年7月23日(木曜日)  入院77日目
午前中、歯科受診をする。入れ歯の具合が悪いので直してもらう。
F印刷さん来る。遺言集の話をする。妻来る。
先生に点滴をはずしてもらう。
長い薬漬けと栄養補給とグッバイ。

■2015年7月24日(金曜日)  入院78日目
ようやく退院ができることとなった。同室の人にファミマで買った飲み物などプレゼント。
主治医、先生との面談。

病気は消えているが、再発するかは神のみぞ知るということらしい。

次回3カ月後に外来で検査を受けることとなる。
午後、土用の丑で、うなぎを買って自宅に帰る。
とりあえず、4カ月の闘病物語を中締めとする。

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