本文へスキップ

北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

電話でのお問い合わせはTEL.

 帰塵亭うど 庵主漫録

◆日々有論 2024/1/26 ■落雪か? 夕食時にひと騒動

 のんびり「必殺仕事人」を見ながら寛いでいたら、緊急車両のサイレンが響き渡った。まさかマンションが燃えているのでは、と慌てて飛び出してみると、空き家近辺が慌ただしい。
 どうやら落雪事故騒ぎだったようだ。消防隊員がハシゴを持って駆けつけ、1階屋根から雪を搔き下ろしている。放置された雪が落ちたなら、人身事故につながっているだろう。消防隊員のみなさんの、キビキビとした対処はありがたい。雪のおおい地区は要注意だろう。




◆日々有論 2024/1/11 
■能登半島と原発の歴史を学び直す


 令和6年能登半島地震は全容が見えぬ一方で、深刻な様相が断片的に浮かび上がりつつある。震度7を記録した志賀町の被害はやはり甚大のようだ。京都大学の防災研究所の調査によると、津波による浸水の高さは志賀町で最大5.1m、珠洲市で最大4.7mだったという。広範な隆起も起きていて、維持のための電力や冷却のための水を必要とする原発をめぐる環境が大きく変わりつつあると思われる。

 これまでも指摘してきたが、一番の懸念は原発の被災である。北陸電力は被害事実の小出しと誤報-修正を繰り返している。福島のことを思い出すと、本当に大丈夫なのかと思う。さすがに政府もその脆弱な発表姿勢に注意を促すまでに至っている。「経済産業省は10日までに、能登半島地震で被災した北陸電力志賀原発(石川県志賀町)を巡り、発表の訂正が相次いだことを受け、同社に対し正確な情報発信を行うよう指示した」(時事通信、1月10日)という。

 能登半島は過疎化対策もあって1970年代から原発を押しつけ-誘致する-場所となってきた。すでに志賀原発が建設されてしまっているが、震度6強でやはり深刻な被害を出している珠洲市にも原発が建てられている可能性があった。

「原子力を問う(中国新聞 2004/05/09)」
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/kikaku/nuclearpower/japan/040509_01.html
<関西、中部、北陸の3電力が石川県珠洲市に共同で計画していた珠洲原子力発電所の建設が昨年12月に凍結された。一方、北陸電力が設置した志賀原発(同県志賀町)では2号機が2006年3月の運転開始を目指して工事が進んでいる。同じ能登半島に計画された両原発。スタートしたタイミングはわずか8年の差にすぎなかったが、……>

 上の記事は競うように進められた志賀原発、珠洲原発計画を対照したリポートとなっている。
 幸いなことに珠洲市では原発計画が住民の粘り強い反対運動があって凍結された。

「珠洲原発反対運動の歴史(簡略版)」(珠洲たのしい授業の会HP)
https://suzutano.com/suzugenpatu_histry01/
<珠洲市の原発誘致問題が具体化したのは,1975年10月30日の市議会全員協議会で『原子力発電所,原子力船基地等の調査に関する要望書』を国に提出することを決め,黒瀬市長と田畑議長らが,中西知事にこの要望書を渡し,珠洲市に適地調査を行うよう政府に取り次ぎ依頼をした時から始まる。この動きを見てとった中部・関西・北陸の各電力会社は,1976年1月に相次いで原発開発構想を発表した。なかでも関西電力の芦原会長は「珠洲市に1000万キロワットの一大原発基地をつくりたい」と述べている。……>

 不正選挙をしてまでも原発を誘致したかった賛成派や電力会社のごり押し、生活者への分断持ち込みに負けず、原発に反対する住民の力がなければ、珠洲市の震災はとんでもないことになっていただろう。上記のリポートは語りつがれるべき資料と言える。原発からふるさとを守った中のひとりの人物追想記もあらためて読み直したい。

「樫田 準一郎(1931〜2022年)石川県珠洲市 珠洲原発に反対した教育者」(中日新聞ウェブわがまちの偉人)
https://www.chunichi.co.jp/article/540385
<一九七〇年代に提唱され、二〇〇三年に凍結され事実上なくなった石川県珠洲市の原発建設計画。教育者の樫田準一郎は、厚い人望から反対派に推され二回市長選に挑んだ。……>

『「志賀原発「異常なし」から考えた 運転中だったら?「珠洲原発」だったら? 震度7の地震は想定内なのか』(東京新聞ウェブこちら特報部)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/300551
<元日の北陸を襲った能登半島地震。震度7という激震と津波が大きな被害をもたらしたが、地震直後から大いに気になったのは、震源に近い北陸電力志賀原発(石川県志賀町)だ。外部電源の一部を喪失し、変圧器からの油漏れや核燃料プールの水漏れなどはあったが、原子力規制委員会は「大きな異常はなし」とする。しかし、‥>

東京新聞特報部のリポートを読みながら、あらためて原発と震災をめぐる怖さに身震いがした。


◆日々有論 2024/1/6 ■地震研究における日本海地域対策の遅れ

 先日、能登半島地震に関する漫録を書いた。素人が何を、と思われるかもしれないが、私自身はここ数年、天災地変人禍について少し調べており、素人にしては資料を見てきているほうだと思っている。

 そのうえで言うと、日本海地域の地震に対して、政府・研究機関・専門家は少し甘かったのではないかと思う。我が国の地震に関するナショナルセンターである地震本部(政府 地震調査研究推進本部 https://www.jishin.go.jp/  )には多数の研究資料が公表されている。

 そのなかに、「全国地震動予測地図2020年版(令和3年3月26日公表)」という報告書がある。この日本の地震の未来予想図にはインパクトのある地図が多数収載されている。以下に引用掲載する図版は同報告書からのものである。
https://www.jishin.go.jp/evaluation/seismic_hazard_map/shm_report/shm_report_2020/


 1枚目は今後30年間に起こりうる震度5強以上の地震の予想地図

 真っ赤かです。5強以上の地震は日本中どこでも起こりそうである。特に太平洋側は大変なことになりそうである。しかしながら、日本海側は明らかに赤色が薄い。つまり地震確率が低いっぽいのだ。

 2 中部地方における震度6弱以上の地震確率

 中部圏での震度6弱以上の地震は東海地方に集中している。

 3 石川県における震度6弱以上の地震確率

 石川県での震度6弱以上の地震発生確率は富山県境につながる金沢あたりが中心で、能登半島はまったく平穏である。
 
 これがほんの数年前の地震研究のナショナルセンターの出していた未来予想図なのだ。驚くしかないのだ。震度6強、震度7など想像もしていないからだ。

 政府、機関、専門家の頭と眼は太平洋岸に迫り来る危機に集中し、日本海側は研究体制を含め手薄になっていたのではないか、と思うのだ。
 日本海側には大きな火山も少なかったことも影響しているし、誠に想像でしかないが、日本海側は地盤も安定しているとして次々と原子力発電所が建てられており、国策を脅かすような断層のズレによる大地震の発生予測はしづらかった、あるいは積極的に言及せず、やり過ごそうとしていたのではないか、と素人はいらぬ邪推をしてしまうのである。

 大地震の発生確率の低かったところで、大変な事態が起きている。予想外の異変、これが現在なのだ。

 気象庁地震火山部作成の資料をみると、今回の能登半島地震の余震の多さが目立つ。
 https://www.jma.go.jp/jma/press/2401/05b/kaisetsu202401051400.pdf


 断層が落ち着かないのだろう。なかなか先行き不透明である。


https://www.static.jishin.go.jp/resource/monthly/2024/20240101_noto_1.pdf

「 令和6年能登半島地震の評価 (令和6年1月2日公表)」によれば、能登半島では最大4メートルの隆起がみられるという。水やマグマなどの混ざった「流体」がプレートの沈み込みなどにより上昇してきて断層を滑らせている。そうして大地が隆起する。長い目でみれば一種の造山運動であり、火山が誕生する過程のようにも見える。能登半島山を後世の日本人は見ることになるのだろうか。

◆日々有論 2024/1/2  
■深刻な事態の予感 能登半島の大地震と津波


 2024年1月1日午後4時10分、
石川県能登地方(輪島の東北東30km付近) 深さ 16kmを震源とするマグニチュード7.6(暫定値)の地震が発生した。北西―南東方向に圧力軸を持つ逆断層型(速報)で、石川県の志賀町(しかまち)で最大震度7を観測したほか、北海道から九州地方にかけて震度6強~1を観測した。加えて日本海沿岸全域と北海道の太平洋岸に津波警報・注意報を発令、特に震源に近い海岸地域では一時、大津波警報に格上げされ、公共放送ではアナウンサーが「いますぐ、逃げて!」と絶叫するほどだった。

 余震は当面の間、この地震活動はこの後も数年にわたって続くと予想されている。


 
 
 震央分布

 気象庁HP「令和6年能登半島地震」 https://www.jma.go.jp/jma/index.html

 
   気象庁HP「令和6年能登半島地震」 https://www.jma.go.jp/jma/index.html

 
この地域の震災で懸念されるのは人口減・高齢化の進むマチのインフラが壊滅的な打撃を受けて復旧に多くの困難が伴うこととともに、原発関連事案である。
 今回の最大震度を記録した志賀町には北陸電力・志賀原発がつくられているが、これを中心に東西には、新潟県の柏崎市と刈羽村に東京電力・柏崎刈羽原発(運転停止中)、福井県に関西電力・高浜原発1号機、2号機、3号機、大飯原発3号機、4号機(いずれも稼働中)、さらに高浜原発4号機と美浜原発3号機(ともに定期検査のために運転停止中)、日本原子力発電の敦賀原発(長期停止中)が立ち並んでいる。まさしく「原発銀座」地帯である。

 志賀原発では地震による影響で、1号機と2号機で外部から電気を受けるために使われている変圧器あわせて2台で、配管が壊れて絶縁や冷却のための油が漏れ出し、電気が受けられない状況となっている。1号機と2号機の使用済み燃料プールで放射性物質を含む水が床面にあふれ出たともいう。情報が抑制的に部分的に小出しされているので真相は不明点も多く楽観はできないと思う。
 
 日本海の津波は到達時間が速いことで知られており、地震による直接被害以上に浸水被害の拡大が懸念されている。日本の報道では日本列島しか映されないので、日本海は広い大海のように錯覚しがちである。しかしながら、日本海は地中海のような内海であり、湖のようでもある。
 少し視野を広げた地図を広げてみると、一目瞭然である。


  
               Google map より

 
この「地中海」の出入り口となっているのは対馬海峡とタタール海峡(最狭部は間宮海峡)、宗谷海峡、そして津軽海峡である。この「内海」で起きた津波は沿岸に反響する。日本海に突き出た能登半島はまさに中心部であり、北朝鮮、ロシアはほんの対岸である。ここをタライとすれば、沿岸一帯にあふれ出す。北海道が日本海側のみならず太平洋側でも津波の襲来となるのは地図を見れば明らかであろう。
 さらに、海峡には川が流れている。南から北へ、対馬海流(暖流)。北から南へ、リマン海流(寒流)、北海道とサハリンの間の宗谷海峡には対馬海流の果ての宗谷暖流、津軽海峡にはやはり対馬海流から派生した津軽暖流が西から東へ、北海道の太平洋側に流れ出している。福井県、石川県能登半島、新潟県から発生した物質は北前船のルートのように北海道へと届くのだ。地震災害が原発へ影響しないことを願いたい。

 
   日本列島近海の海流 Tosaka, CC 表示 3.0,     
   https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4265173 による

 環太平洋火山帯(造山帯)の島嶼部では昨年来、大規模な噴火活動が見られている。アイスランドの噴火は地球規模の影響を懸念するが、環太平洋の噴火は日本への連動が心配になる。

 硫黄島沖 10月下旬の新たな噴火 きのう再び噴火を確認(NHKニュースウェブ)
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231124/k10014268271000.html

 パプアニューギニア ウラウン火山で規模の大きな噴火噴煙は高度1万5000m(ウェザーニュース)
 https://weathernews.jp/s/topics/202311/200145/

 インドネシア・マラピ火山で大規模な噴火 噴煙は高度1万5000mに(ウェザーニュース)
 https://weathernews.jp/s/topics/202312/030195/

 いささか奥歯にものが挟まった言い方にもなっているが、火山と地震の連動は必ずしも根拠あるものではないにしても、油断はできない。


◆日々有論 2023/12/31  ■老いて恥じいることばかり

アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。(右大臣実朝)

恥の多い生涯を送って来ました。(人間失格)

にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。(かくめい)


 年の暮れに、頭の中を太宰治の言葉が浮かんでは消え、また浮かんだ。
 太宰治は沁みる。恥ずかしいことを恥ずかしいと知っていながら、言ってみせる。偽善を許せないのに悪ぶってみせる。
 本当に沁みる。いたずらに生きすぎている自分がいる。まだ、こうしなければならぬなどと思っている。恥の多さをいかんとやせん。

 戦争は終わらない。国家による民衆の殺戮は止まらない。年忘れの歌合戦を時折、楽しんでいる自分がいる。この非対称を善意や良心では止められない。

 生きすぎてしまった。と思うことがある。喜びも増えたが、悲しいことを見過ぎた。

 とりあえず、X(元twitter)をやめることにした。アカウントを廃止しようと思ったが、面倒なので、非公開というような制約をかけた。当分、Xをみることはしない。匿名と匿名を利用した迷惑広告ばかりがあふれすぎだ。軽い言葉に踊らされるのはもううんざりだ。

 2ちゃんねる(5ちゃんねる)も見ない。この匿名性は毒だ。悪意を快感としてしまうのだ。
 芸能ニュースとも少しずつ離れていこう。芸能ではないニュースは必要ない。

 本当に無為のままに年を重ねている。

 
◆日々有論 2023/10/01 ■北海道新聞夕刊が2023年9月30日(第29018号)で休刊

 告知されていたとおり北海道新聞は2023年9月30日をもって夕刊を廃止した。
 最後の夕刊を待ちわびていた私は紙面を見て呆然となった。トップニュースと思っていた「道新(本紙)夕刊を廃刊」という記事はなく、まったく緊急性のない結婚相談所をめぐる「暇ネタ」が1面の大半を占め、左肩に4倍活字の「夕刊を休刊します。ご愛読ありがとうございました」という見出しの囲みのお知らせが載っているだけであった。
 なんということか。誰が考えても、道新夕刊廃止は「北海タイムス廃刊」(1998年9月2日)に匹敵する重大ニュースだろう。部数で言えば道新夕刊のほうが北海タイムスよりもはるかに多いはずだ。記者は廃刊をめぐる「本記」を書き、「解説」でその社会的経済的背景を分析し、「サイド記事」で新聞業界全体への動向と影響、永年の道民愛読者と識者の声を社会面見開きで展開するべきだ。少なくとも私が現役の整理委員であれば、そのような紙面を作る。
 私の暮らす狸小路近辺には古くからの道新愛読者がたくさんいる。ブラ歩きしていると配達されたばかりの夕刊を机に広げて、じっくりと読んでいる商店主を見る。「ああ、こんなふうに自分のつくった新聞は読まれてきたのだなあ」と感慨を覚えたものだ。そんななじみ親しんだ生活のリズムが9月30日を最後に失われてしまうのだ。資本の論理よりも、「道新さん」と呼んで支えてきた読者の思いを掬い、伝えるべきではないのか。

 私はあるエピソードを思い出していた。それは「スーパーマン 新聞社を退社」という2012年10月の新聞に載っていた小さな囲み記事だ。テレビや映画でおなじみのあのスーパーマンだ。ニュースの初出となるUSAトゥデー紙サイトには次のように記されていた。

 クラーク・ケント(スーパーマン)はスーパーマンとしてはできないことを伝えるためにジャーナリストになった。だが、メトロポリスにある勤め先の新聞社「デーリー・プラネット」も、今ではマルチメディア企業「ギャラクシー」の一部となり肝心の報道はエンターテインメントになってしまっていた。彼はスタッフたちの前で退社を宣言する。真実や正義のために立ち上がろう、と訴えて…。
 新聞の世界を離れるスーパーマンはこれからはありのままの真実を伝えるために、インターネットなど「現代ジャーナリズム」の仕事に就くという。
 
 公衆電話ボックスでの変身が多かったスーパーマンは携帯電話(スマホ)が普及した現在では公衆電話ボックス探しも大変だったろう。10年前の架空の出来事だが、新聞社が報道第一からマルチメディア企業となり、エンターテインメントにニュースが飲み込まれていくのはまさに現在を予言したものだ。
 USAトゥデー紙のサイトはもう探せなかったが、その話題に触れたサイトは残っている。

「スーパーマン」主人公クラーク・ケントが上司に叱られ新聞社を辞職(TVグルーヴ)
https://www.tvgroove.com/news/article/ctg/1/nid/8777.html

新聞社辞め、「無職」になったスーパーマン 米メディアからさっそく「雇います」ラブコール
(J-CAST ニュース)
https://www.j-cast.com/2012/10/24151293.html?p=all

 道民が永年大切にしてきた宝を失ったのだということを忘れてはなるまい。


9月29日 仲秋の名月
 ばっちり名月が見えるという前宣伝であったが、雲が多くてさっぱり見えず。
 それでもなんとか1枚撮れた。


CANON EOS Kiss X7 250mm 1/125 F11 ISO100 周囲トリミング


9月25日 訃報:伊藤礼さん死去。90歳
「伊藤整日記」を編集、次男でエッセイストの伊藤礼さん死去…著書に「こぐこぐ自転車」
 エッセイストで元日本大教授の伊藤礼(いとう・れい)さんが22日、病気で死去した。90歳だった。(読売新聞オンラインより)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230924-OYT1T50126/

 伊藤礼さんは北海道を代表する文学者伊藤整(いとう・せい、ひとし、1905~1969)の二男である。伊藤整の残した資料をまとめた。
 伊藤礼さんについては昔、書評らしきものを書いたことがある。
 https://shin-takaoudoism.com/itouseisinojituzou.html



◆日々有論
 2023/09/07 ■まろは、皆人に許されたれば、

ジャニーズ事務所会見、藤島社長が辞任 ジャニー喜多川氏の性加害認める(BBC NEWS JAPAN) https://www.bbc.com/japanese/66739357

 9月7日午後2時からジャニー喜多川氏の性加害問題に対するジャニーズ事務所の記者会見が行われた。メリー喜多川氏と作家・藤島泰輔氏(上皇明仁のご学友。政治的には次第に右傾化した活動でも知られる)の娘である藤島ジュリー景子代表取締役(9月5日で社長は辞任したとのこと)と、東山紀之氏、井ノ原快彦氏、顧問弁護士が出席した。
 藤島家は日本のパワーエリートに連なる名家となり、ジュリー景子氏はジャニーズ事務所の株式を100%受け継いだ大富豪である。東山紀之氏はジュリー景子氏の突然の抜擢で後任社長となったという。井ノ原快彦氏はジュニアと呼ばれるアイドルの卵たちを育成するジュアニーズアイランドの社長である。

 会見を見ながら思ったことは東山氏と井ノ原氏は水戸黄門を守る助さん格さんの役を演じさせられているということだった。要するに、ジャニー喜多川氏の姪であるジュリー氏の弾よけに、JK王国から選ばれた優秀な奉公人が記者どもの相手をするというパワハラの構図である。

 会見はとても真摯に行われ、ある意味誠実であると思った。ただ、何ら改革のための具体的な処方箋も出てこなかった。「鬼畜の所業」と性加害を痛烈に批判しながらも、ジャニーズという名前は変えないのだという。さらに、推測するに、批判の矢面に立ちたくないので社長をやめるが、同族経営の極みであるはずの、独占している株は手放さないし代表取締役はやめないとジュリー氏は言う。新しい経営陣に任せると見せながらも、結局は「傀儡政権」であり、奉公人たちのお手並み拝見の構えだ。ダメならプロ経営者とか法律家とか外資系コンサルタントなど、代わりはいくらでもいる。暗澹となる。

 東山紀之氏も井ノ原快彦氏もとても良い人物だと思う。東山氏は京浜工業地帯のど真ん中で在日コリアンの人も多い川崎の歓楽街のそばで生まれた。祖父はロシアの人だったと言われ、美形なのはその血を引くからか。生活的には恵まれなかったぶん、苦労も多かったはずだ。彼の少年期を描いたエッセーを読んだことがあるが、人々の優しさにとても敏感でヒューマニスティックであると思った。井ノ原快彦は東京の下町の団地っ子でエンターテナーとしての図抜けた才能はないが、人の話をよく聞くことができる。肩肘張らず、背伸びをせず、理に走らず情を語る。井ノ原は未熟なジャニーズジュニアの少年たちと向き合い、一方で彼らを応援するためになけなしの小遣いをはたき遠くまで足を運んでくれる少女ファンに感謝しているのが伝わってくる。それでも、やはり、パフォーマンスをさせられている感は否めない。

 「鬼畜の所業」という言葉を聞きながら、私は紫式部『源氏物語』の「花宴」の一節を思い出していた。宮中で行われた花見の宴で抜群の才能を見せつけた光源氏はほろ酔いで女あさりをする。最愛の藤壺に会えなかったため、弘徽殿の女御の妹の朧月夜と関係を結ぶ。

 やをら抱き下ろして、戸は押し立てつ。あさましきにあきれたるさま、いとなつかしうをかしげなり。わななくわななく、「ここに、人」と、のたまへど、「まろは、皆人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ。ただ、忍びてこそ」 とのたまふ声に、この君なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり。(原文)

やおら抱き下して(長押から 庇の間へ)、戸を締めてしまいました。あまりのことに呆れている有様が、世にも可隣で美しいのです。打ちふるえながら「ここに人が」とおっしゃるのですが、「私は誰からも許されているのですから、人をお呼びになりましても、何にもなりません。どうぞお静かに」と仰せになる声に、源氏の君であったと分って、少しは安心するのでした。(谷崎潤一郎訳)

 月の夜に強制性交に至る「まろは、皆人に許されたれば」という光源氏の態度は傲慢そのものだ。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」ではないが、何をしても誰にも止められないし許されると言う態度こそ「鬼畜の所業」への道だ。「プレデター」の王国が崩壊するのは当然のことだろう。



◆日々有論 2023/09/05
 ■国からの補助金は濡れ手に粟の不正の金づるという常識

電通北海道は契約違反 道、過大請求で認定 再委託手続き怠る
 新型コロナウイルス対策のコールセンター業務で電通北海道(札幌)が道に約1億5800万円を過大請求していた問題を巡り、道が同社への業務委託契約の履行状況を調査した結果、契約7件のうち5件で違反があったことが分かった。業務を再委託する場合に必要な道への承認手続きなどを怠っていた。
 道は電通北海道から8月9日に2021~22年度に同社に委託したコールセンター4業務について過大請求の報告を受け、14~23日に同社への調査を実施。その結果、4業務で交わした契約7件のうち、5件で違反を確認したという。道によると、電通北海道は7件の契約全てで電通プロモーションエグゼ(東京)に業務を再委託。エグゼ社はさらに、道の取り決めに反して外部業者に再々委託もしていた。(2023年9月5日 北海道新聞デジタル)

 ほかにネットで見出しを拾ってみる。
●近畿日本ツーリスト、コロナワクチン業務の過大請求額は最大9億円「自治体等と協議のうえ返納」
●パソナの委託先が3自治体に10億円の過大請求 ワクチン受付業務で
●無料PCR、補助金を不正に申請 11事業者が183億円―東京都
●コロナ無料検査で補助金の不正申請 調査した15のうち7事業者の総計42億円を不交付 大阪・吉村知事ら「1つしかしていないのに抗原とPCR両方したことになっている」

 呆れるほど「不正」だらけだ。よくもやるものだ。天下の大企業ばかり。まともにお天道様を見られないようなことばかりやっている。近畿日本ツーリストやパソナは悪質な不正の代表格となっているようだ。
 国がカネを出す話があると、嗅覚鋭くやって来て、不正請求をするは、中抜きするはが当たり前で、人件費をピンハネするは、で税金を食い散らす。東京オリンピックというイベントもそうだった。電通系のネットワークを中心に厖大な税金を不正受給するインナーチームが暗躍した。
 こんな内容のないあぶく銭が踊ることで、国力は衰退していく。
 最近は原発汚染処理水をめぐって怪しい。

水産業支援、207億円追加対策 政府、ホタテ一時買い取りなど 中国前面禁輸受け
 岸田文雄首相は4日、東京電力福島第1原発の処理水海洋放出に反発した中国が日本産水産物を全面禁輸した問題を巡り、207億円の追加対策を取りまとめたと発表した。道内産ホタテを中心に、影響を受けている水産物の加工強化や新たな海外販路開拓などを支援し、中国依存からの脱却を図る。2023年度予算の予備費から支出し、一連の対策費は既存の基金と合わせ1007億円になる。(2023年9月5日 北海道新聞デジタル)

 最低の悪手である原発汚染処理水の海洋投棄で水産物の安全性に疑念を招く。輸出先の中国の反発が強いので業界を救おうと言うのである。汚染処理水はおそらく永遠に海洋排出が続く。とすれば、永遠に補助金を出し続けねばならない。税金で。ただで流れてくる大金カネがあるなら、ピンハネを考えるブローカーはどこにでもいる。きっと、そうなる。

吉本隆明
◆日々有論 2023/09/04 ■戦争なんか全部ダメだ--今こそ、吉本隆明の戦争論を

 ロシアのウクライナ侵攻以降、いわゆる左翼の間にも自衛戦争は正しい(仕方がない)というような意向が強まり、頑張れウクライナ、ロシア糾弾、という人たちがいる。だが、僕はいかなる戦争も反対だ。赤勝て、白勝て、のような論調では平和は守れないと考える。だいぶん前に吉本隆明の著書を紹介しながら、書いた小論があるので再掲する。

 戦争を論じた文章の中で明らかに凡百のレベルを超えたものとして吉本隆明「私の『戦争論』」(ぶんか社、1600円、1999年)を挙げておきたい。
 私は初期吉本主義者であり、戦後まもなくの関係的葛藤の中で切り開いてきた吉本隆明の思想に多く学んできた者である。「戦後思想の巨人」として流通することをよしとした後期吉本体系主義には極めて批判的に接してきた。しかし、オウム真理教の麻原をベタ誉めしてしまったようにダメなときはダメだが、それでも天才・吉本が何かを語るとき、それは私たちのレベルを遙かに超えて魅力的である。
 今回の吉本「戦争論」は真性民主主義者としての吉本隆明の真骨頂が示されたものとして見事である。旧来の戦争論に飽き足らない全ての人は本書を熟読すべきだが、忙しい者はダイジェストされた部分を立ち読みするだけでもよい。以下、抜き出しするので、何度でも読み直して欲しい。

1 「日本の兵隊というのは、普通の民衆ですよ。その民衆が100万人単位で死んでいる。それを、『無駄死にだった』とか『侵略戦争の犠牲者にすぎない』とかいって、共産党をはじめとする戦後左翼はあっさり片づけたわけです。『これは絶対に許せないぞ』というのが当時の僕の思いでしたし、それは今も同じです」

2 「個人よりも国家や公のほうが大きいというのは、小林よしのりの間違いです。個人と国家や公を対比させていうなら、個人のほうが国家や公よりも大きいんです」

3 「僕は、エゴイズムというものは基本的には肯定されるべきものだと思います。そこまで徹底的にいわないと、主張が腰砕けになって、どこかでグラッとしちゃうところがあるかもしれないな、と」

4 「戦争というものは、勝っても負けても、民衆にとっては得なことは何もない、何もあとに残らないよ、というのが僕の実感なんです。『戦争自体がダメなんだ』ということ--日本国の憲法第9条は、その理想に近づきうる憲法だということです」

5 「国民国家解体の兆しは、すでに先進国で出ているじゃないですか。日本を含む先進資本主義国の今の課題は、いかにして、自国の民衆や他国の民衆に対して国家を開いていくか、ということにあるんです」

6 「僕が知っている限り、一番いい戦争観を述べたのはユダヤ系フランス人の思想家シモーヌ・ヴェーユです。ヴェーユは、戦争とは何かといったら、それは結局、『政権を握っている支配者が、他国の労働者を使って自国の労働者を殺させることと同じだ』といったんです。『支配者が自国の労働者を自分の手で殺すわけにはいかないから、他国の労働者を使って殺させるんだ』というわけです。戦争で傷つくのは労働者、民衆だけであって、支配者は全然傷つかない。また、弱い国であるか、強い国であるかなんてことは労働者にとっては全然関係ないことだし、『戦争は革命を起こす絶好の好機である』なんていってるうちはダメだ。左翼のこれまでの戦争観は、全部ダメだっていったんです。『戦争なんか全部ダメだ』というのがヴェーユの戦争観で、これは理念としてギリギリのことをいっちゃったわけです。もうここまで言い切ってしまえば、終わりなんです。僕自身の考えも、本音の本音でいっちゃうと、やっぱり、『戦争自体がダメだ』ということになりますね」

7 「国家なんてなくても民衆はちゃんと生きていけるんですよ。国家が滅んだら、その国の民衆も滅んじゃうか、死んじゃうかといえば、そんなことはありません」

 吉本隆明は右翼国家主義者の戦争論は勿論のこと、わが左翼の革命戦争論をも批判し、「戦争なんか全部ダメだ」と言い切っている。国家を語るなら、従軍慰安婦に対し中国民衆に対してきっちりと謝るべきであると、言う。それでもなお中国が納得しないとするならばケツをまくればいいのだ、おまえたちだって侵略者だったことを忘れるな、と言うべきだ、と言う。他国の領土での戦争は侵略であり、南京大虐殺の事実において犠牲者数は本質的な問題ではない、とも言う。そして、国家の暴力を否定しつつも個人の自立的戦いは肯定する。だが、国家はいずれにしろ開かれねばならないと力説する。まさに共同幻想論の究極点は変わっていない。
 軍国少年として戦争に加担した痛みを自らの思想として対自化してきた吉本隆明は健在である。「ぼけ老人」なとどと言う罵詈雑言は己に帰ってくることをポストモダン小僧たちは知らされるだろう


◆日々有論 2023/09/03
 ■ジャニーズ問題の根の深さと陰鬱にさせるもの

ジャニーズ再発防止特別チーム、ジャニー氏の性加害を認定「長期間にわたって広範に繰り返していた」(マイナビニュース 8月29日)
https://news.mynavi.jp/article/20230829-2760272/

 ジャニーズをめぐる性加害問題についてはだいぶん前からx(旧Twitter)に私見を書き込んできた。たとえば次のようなものだ。

8月4日
ジャニーズ事務所とその経営陣、NHKと民間放送業者はただちに最低100億円~数百億円規模の「性被害救済・根絶JK基金」を設立し、当該被害者への網羅的補償、未成年者の保護、エンタメ業界の健全化を表明し、国際批判に責任ある対応をする時期ではなかろうか。 #ジャニーズ事務所
8月5日
ジャニーズ問題では当事者救済基金に加え、政府が憲法、労働関係法規などの遵守を徹底し、第3者機関による人権意識の広報啓発、救済相談、避難体制の確立を急ぐべきだろう。#ジャニーズ事務所
同日
JK氏が一番責任重い加害者だが、それを放置していた事務所、経済的基盤を与えたテレビ局が被害拡大の面では悪質である。事務所を他人事のように責めるのではなく、なぜ共犯者となったかテレビ局は自らを検証報道すべきではないか。#ジャニーズ事務所
8月29日
ようやく再発防止策が出てきたのは良かった。既に提起しているが網羅的救済基金の設立、TVメディアの責任検証が不可欠だと思う。 #ジャニーズ事務所
8月30日
JK性加害事案でテレビ各局が足並みそろえ声明。文春報道を無視し続け、英国メディアが報じるまで知らぬふり。公共事業ならJ社は入札停止もの、テレビ局も問題企業とは取引しないと宣言すれば潔いが、本気度が伝わらない。一役者の不祥事でも、番組をお蔵入りさせるのに。#ジャニーズ事務所

 ジャニーズ性加害問題は「ジャニー喜多川」というひとりの変人の起こした事案であることは第一であるが、ずっと引っ掛かっていることがある。

 つまり、これは個人の事件であると同時に時代を映しているのではないかということだ。ジャーニーズは占領軍の施設が集積されていた代々木の「ワシントンハイツ」(現在のNHK近辺)から生まれた。日本の中のアメリカが原点であり、その創始者であるジャニー喜多川もまた日本の中のアメリカであったということだ。凌辱されていく少年たちはアメリカに対する日本人をシンボリックに現している。
 真相はよくわからないが、二重国籍者であったジャニー氏は日本国籍だけになったという。シミュレートすれば日本の独立だ。しかし、性加害はその日本の中にアメリカの影を引き摺っていたことのようにも映る。モンスターを非難しつつも、どこかで悲しい気持ちにさせられるのは、なにもかにも~文化や芸能を含めた日本人の戦後精神~の危うさを感じてしまうからなのかもしれない。精神史的に考えれば、鬱陶しい。


◆日々有論2023/09/02 ■危うさを抱えた「半導体事業」大規模投資
 
ラピダス、千歳で着工 半導体復活へ27年量産化目指す 首相「年末に支援策」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/902567/

 官民挙げての肝いりで北海道・千歳に次世代半導体の開発を目指す「ラピダス」の工場建設が始まったという。地元自治体や経済界は浮き足だっているが、大丈夫なのか、という疑念が拭えない。
 ご存知のように、日本の半導体事業は負け続けている。確かに、1980年代の一時、「半導体は産業のコメ」と言われ、ジャパンアズナンバーワンのシンボルのように圧倒的なシェアを占めたこともあった。だが、真面目な仕事が報われるとは限らない。世界の人工知のリーダーシップを譲らないアメリカは反トラストや反カルテル、貿易摩擦などなどあらゆる対抗措置を講じて日本企業の優位性をつぶした。そうこうしている間に、日本企業の優秀な技術者は日本を見捨て、たとえば韓国、たとえば中国の企業にヘッドハンティングされていく。気がつけば、精密さでは日本に及ばないが、安価で汎用性の高い中韓台の半導体が台頭し、落日が始まる。
 気がつけば、日の丸半導体は見る影もなくなっていた。これはならんと、合従連衡の策が取られて、たとえば、エルピーダメモリが生まれた。エルピーダとは「希望」の意味だったが、厖大なカネが蕩尽されたあと、経営破綻し、米国企業に買い叩かれてしまった。日の丸半導体など口先だけは格好いいが中身が付いていない。
 半導体事業が成功するには厖大な開発資金が必要であり、独創性と適応性の高い優秀な技術者が必要であり、厖大な数のユーザーが必要である。だが、日本はスマートホンを見てもわかるように、メイドインジャパンの優位性などどこにもない。非情に難しい開発に加えて、マーケッティング力がなければ使ってもらえないのだ。その力がどこにあるのだろうか。
 そして、資金だ。ラピダスはカネがあるのか。資本金はわずか73億円しかない。これからカネを集めるのだろうが、そのカネはどこにあるのだ。少なくとも民間にはない。同社の会長は、技術開発関連に2兆円規模の資金が必要との試算を示し、国に中長期的な支援を要請する考えを明らかにした、そうだ。さらに。量産化に向け工場建設など3兆円ほどが別途かかると話しているという。要するに税金を取り込もうとしているのだから、官製事業だろう。たぶん成功はしないので、これまでのケースを見れば、厖大な初期投資施設は買い叩かれて、外国企業のものとなるだろう。本当に心配だ。
 目先の公共事業に浮かれている向きも多いが、日本の半導体事業の敗北史を少し調べれば、結末は見えるというものだ。環境に対する負荷の大きさも甘く見てはならない。貴重な北海道の大地と水資源の未来は楽観できない。
 わかっていて、落とし穴に誘う人々はいるのだが、気づこうとしない人々をどうしようか。


 
 図表 日本の半導体産業の現状
  (出典)経済産業省(2021.3.24)「第1回半導体・デジタル産業戦略検討会議」
 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r03/html/nd105120.html
 総務省HP 「情報通信白書」令和3年版 より

◆日々有論 2023/09/01 ■北海道新聞 夕刊9月末で休刊  なんとも心淋しい

夕刊 9月末で休刊します*朝刊と道新デジタルを拡充
https://kk.hokkaido-np.co.jp/post-1831/

 読者にとっては唐突に、北海道新聞から2023年9月末をもって夕刊が休刊するとの告知がなされた。ちょっといきなりである。夕刊は楽しみだったのに。子供の頃から父親と一緒に「道新」を読んで育ち、長じては勤め先に選んだ道民としては心痛いものがある。道民の生活習慣を変えてしまうことはどう考えているのだろうか、と思う。
 あれこれ理由が書かれているが、インターネット時代となり、スマホなどから発せられるデジタルコンテンツの物量に、新聞という印刷媒体がその地位を奪われたという象徴であろう。
 部数凋落の著しい夕刊をまず廃止してスリム化を図ろうというのだが、それは根本的な解決にはほど遠い。速報性を半減させることで、新聞はますます追い込まれるからだ。訓練された専門記者による取材力は簡単には代替されることはないにしろ、朝刊だけの新聞というのは量的影響力として力不足は否めない。
 北海道新聞にとどまらず、全国で新聞は後退している。ネットの影響力に負けていることは確かにそうだが、若い人を中心に新聞の報道に対する信頼度が落ちていることは重要なポイントだろう。その原因はマスメディアがしっかりと腰を据えた報道をしてこなかったことも大きいと思う。戦争に対する考え方、原発に対する考え方で、状況に流されて悪貨が良貨を駆逐する片棒を担いできた。コアな読者の期待に応える報道をしないから周縁から崩れていくのである。
 私が勤めていた最後の頃、「もっと北海道」とか「200万部運動」というのが行われた。朝刊120万部、夕刊80万部というスローガンが叫ばれたのはオンリーイエスタデーである。強化すべきは内部にあったのだが、声は届かなかった。
 私は新聞という紙型による報道媒体の可能性に悲観的ではない。それは読みやすく、わかりやすく、便利だからである。そういうものは残るのだ。だが、部数の減少はさまざまな困難を今後突きつけることだろう。若い新聞人たちの創意と努力に期待したい。
    
 左=北海道新聞2023年9月1日付 社告      右=スマホクリーナー


8月24日 やはり、僕なら言うぞ!
老い先が短い。これまでは少し遠慮していたことも、本音で話していきたい。忖度なしでいこうと思う。気になることは知らなかった気づかなかったで済ますのは卑怯だ。昔、上野昂志の『巷中有論  街にケンカのタネを拾う』とか、吉本隆明の『僕なら言うぞ!」というような、ある意味で言いたい放題言論本を読んだことがある。ちょっと、それに似ている。街に喧嘩のタネを拾う、というか、頼まれないのに異議ありと申したい。大マスコミが奥歯にものが挟まって知らん顔をするのは、言論人として見過ごせない。怒りのメモランダムも悪くない。


8月12日 うろこ雲だなあ
 東の空を見たら、ビルの向こうにうろこ雲らしきものが見えた。秋なのかなあ。

 
暑いけれど、なんとなく残暑感がある。今年もだんだん終わりに近づいてきた。


6月30日 ツイッターをめぐるわけのわからない警告表示
 私はあまり熱心なツイッター投稿者ではないし、実のところツイッターの使い方をよく知らないほうだ。特に連日何かを書き込むという勤勉さもない。本当に時折、思いついたときに書く。それで久しぶりに自分のツイートを振り返ってみたら、なんだか穏やかでないことが表示されている。

 私の書いている文はこうだ。
「夏休み取ったらゴルフ―とか考えないで、日本国憲法読んで、襟を正して為政者の責務をお浚いすると良いのに」。


 為政者が夏休みになると、山梨とかあちこちで、親しい経済人とかとゴルフ三昧だ。そんな暇があったら、政治の基本である日本国憲法を読み、初心に戻ってみたらいいのになあ」というささやかな願望である。

ところが、これがツイッター運営会社には気に食わないらしい。「センシティブな内容が含まれている可能性があるため、このツイートに警告を表示しています」と書かれている。

 びっくり。なんじゃあ、これえ。である。前記文のどこがセンシティブなのか。わからない。
このツイートには参照すべきリンクが張られている。「shugiin.go.jp/internet/itdb_…… というやつである。ツイート会社にはこれが気に食わないのか。ちなみに、そのurlをクリックしてみる。そうすると次のようなページが表示される。



 日本国の立法府である衆議院のホームページ。そこの国会関係資料の国会関係法規である「日本国憲法」が記されたページだ。
 ツイッター運営会社は、もしかしたら日本国憲法をセンシティブと考えているのだろうか。日本国憲法が嫌いで、どうかしてやろうと考えているのだろうか。
 そうした考え方を持っているとしたら、私にはセンシティヴに見える。

 警告文には「この警告に異議申し立てをする」ことができるようで、私はあまりよくわからないが、問い合わせをしてみた。すると、一応返事らしきものはあった。私は英語がわからないので、グーグルに翻訳してもらった。



 何となく改善されそうな気がしたが、結局はツイッター運営会社の壊憲というのか、日本国憲法をセンシティブとする姿勢に変わりはなく、当該ツイートは変わらないままとなっている。

 これは経営者が変わる前のことだ。ツイート運営会社は私の日本語を読めるなら、日本語で返答してほしい。すると何が問題で、何を書き換えればよいのかわかるのだが。私が書いていることが政治的にセンシティブだとすれば、「為政者」という言葉が禁句なのか。日本国憲法に照らして見解を示してほしい。
 私の理解力が足りのなら、どなたかぜひご教示くださればありがたい。


6月27日 野見山暁治さんの思い出

 洋画家の野見山暁治さん(1920~2023)が亡くなったという新聞記事を見た。あまり絵画には縁がない私であるが、野見山さんとはいささか思い出深いやりとりがあった。この場を借りてささやかな想い出を綴る。まず、訃報を一部引用する。

洋画家、野見山暁治さん死去 
 自由奔放な筆致で心象風景を表現した洋画家で文化勲章受章者の野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)さんが(6月)22日午前7時2分、心不全のため福岡市城南区の病院で死去した。102歳。福岡県出身。葬儀は家族葬で行った。
 福岡県の炭鉱町に育ち、東京美術学校(現東京芸術大)卒。太平洋戦争で旧満州に出征したが病気で送還され、傷痍軍人療養所で終戦を迎えた。1952年にフランスへ留学、フォービスムやキュービスムを吸収し、明るい色調の風景や人物を描いた。56年にサロン・ドートンヌ会員となり、58年「岩上の人」で安井賞。やがて東洋画への傾斜を強め、具象と抽象の境界を超えた心象風景に独自の画境を開いた。
 64年帰国。68年から助教授、教授として東京芸術大で教える一方、宗左近さん、安田武さんらと戦没画学生の作品を調査。長野県の「無言館」開設に尽力し、2005年に菊池寛賞を受けた。文才にも恵まれ、最初の夫人の最期をみとった記録「パリ・キュリイ病院」や日本エッセイスト・クラブ賞の「四百字のデッサン」などが著書にある。(北海道新聞 2023年6月26日)

 この記事では触れられていないが、野見山さんは渡辺淳一の青春小説『阿寒に果つ』のヒロイン時任純子のモデルとなった天才少女画家、加清純子(かせい・じゅんこ、1933~1952)と、付き合いのあった人であった。
 野見山さんの著書『とこしえのお嬢さん 記憶のなかの人』(2014年、生活の友社)の中で、「還ってこなかった妖精」として加清純子について言及している。1951年夏。札幌西高校で開かれた自由美術協会の絵画講習会でモデルが倒れてしまい窮した時、「私を描いて」とモデル役を買って出たのが加清純子だった。
 私は加清純子を研究していることもあって、西日本新聞の知人のご協力でで秘書の方を紹介してもらい、いくつかのメールやりとりを経て、2017年3月7日、野見山暁治さんに電話をして、直接、その時の話を聞かせてもらうことができた。大画家であったが、まったく気どりがなく、率直に話をする人であった。
 野見山さんは加清純子の第一印象をこう語った。
「入って来た時からみんなで可愛い子がいるなって言ってたんです。非常にエキゾチックで瞳が茶色でした。もの言うような、言わないような調子だったし。なんとなく微笑かけるような、不思議な子だなあと思っていた。たまたまモデルになってくれて、ホッとした」
 それから、野見山さんと加清純子は意気投合する。中島公園をさまよい歩いたり、ススキノ近くの喫茶店に行ったり、加清純子が自由美術展に作品を出したことから上野公園近辺でデートしたり。短かったけれど、芸術家魂を燃焼させるエキサイティングな時間が過ぎる。
 野見山さんと別れるとき、加清純子は「この冬、あなたを驚かすようなことをやってみせるから待っててよ」と言い残した。それが何を意味するのかわからなかったが、彼女の阿寒山中での失踪、高校卒業直前のわずか18歳での死を聞いて、野見山さんは「そういうことだったのか」と思い至る。加清純子は「アプレゲール」だった、というのが野見山さんの感慨である。
 野見山さんにインタビューしたその年、私は「ふみくらの奥をのぞけば」という北海道立文学館での特別展で荒巻義雄さんや野見山暁治さんの発言を収めた加清純子メモリアル映像を作成した。その後、2019年に特別展「よみがえれ!とこしえの加清純子 ―『阿寒に果つ』ヒロインの未完の青春―」、2022年にも特別展「『よみがえれ!とこしえの加清純子』再び」を企画した。
 野見山さんはそのたびにお手紙をくださり、「いろんな事が思い出されます。せっかくの事(特別展)なのに、小生、98歳、この少女と違って、老齢の日々、外出ままならず、残念です」(2019年)、101歳になられていた時も「過日、『よみがえれ!とこしえの加清純子』が届きました。以前にも何か、そうした本が届いたように思います。そう言えば、「再び」と付記してある。送本、有難く存じます」(2022年)などと懐かしんでくださっていた。
 野見山さんは窪島誠一郎さんとともに全国をまわり、戦没画学生の遺作を収集保存している「無言館」(長野県上田市)の開設にも力を尽くしたことは画業とともに大きな功績であった。2022年には「100年を超えて」という展覧会を東京藝大美術愛住館で開くなど、制作意欲は変わらなかったという。一世紀を超える活動、ご苦労さまでした。
 
 加清純子については以下を参照ください。
 https://shin-takaoudoism.com/kaseijunko.html



5月4日 カモメ のフン が翔んだ日
 近くの創成川公園の広場で酒まつりをやっているせいか、食べものの匂いや煙に誘われ
鳥たちが昂奮している。カラスはもちろん、いつもは豊平川近辺を飛んでいるカモメも、宴会場のある町の方へやってくる。おかげで、マンションの屋上は鳥のフンだけになった。
ちょうど張り出している3階の屋上は白い忘れ物でいっぱいだ。
 連休で管理人さんもいないし、仕方がないのバケツとブラシを持って糞掃除に追われた。放置すると固まってしまうので、鉄は熱いうちに、フンは柔いうちに、そこがロドゥスだ!。
 人間の食べ散らかしが、動物たちを狂わせるのだろう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
某日 4月30日は渡辺淳一「ひとひら忌」。
 4月30日は上砂川町生まれ札幌育ちの作家、渡辺淳一の命日です。2014年のことで、享年は80歳でした。親しい編集者たちはこの日を代表作の名前を取って「ひとひら忌」と呼んでいます(北海道生まれの私は、「リラ冷え忌」なら良いのになあ、と思ったりします)。
 この季節になると、私は渡辺淳一の『四月の風見鶏』(文藝春秋、1976年)という作品を思い出します。北海道からキャリアを捨て作家の道を目指して上京した青年が1969年4月の花曇りのなかで揺れる心境を綴っていく物語です。同時期を扱った作品には『何処へ』(新潮社、1992年)もあるほか、全5巻の自伝『白夜 野分の章』(中央公論社、1988年)にも描かれています。

<毎日、私は窓から東京を見渡しながら、風見鶏に問いかけていた。
 大学をやめたのは、本当に間違っていなかったのか。心臓移植につまらぬ発言をして、自分は一生を誤ったのではないか。このまま、こんなところに勤めていて、はたしていいのだろうか。
「お前はどう思うの」
 私の問いかけを知ってか知らずか、風見鶏はその時々に方向を変え、四月の空に胸を張って立っていた。>

 渡辺淳一は母校札幌医科大学で整形外科学教室講師になっていましたが、大学病院で行われた「和田心臓移植」を批判したため、追いつめられてしまいました。それで、講師を辞め、専業作家を目指し上京、週3日、墨田区の私立病院に勤めて糊口を凌ぎます。一人前の作家として認められるためには、文壇の登竜門である芥川賞か、プロ作家と認知される直木賞を獲らねばなりません。退路を断った中での執筆は不安に溢れたものでした。風見鶏は自分を映す鏡なのです。
 それでも1年後の1970年7月、『光と影』により第63回直木賞を受賞します。
 その後の渡辺淳一のストーリーテラーとしての活躍はご存知のとおりです。ただ、ベストセラー作家にもある種の「覚悟」と「どん底」時代があったからこそ、飛躍があったことは間違いありません。
 渡辺淳一の勤めていた隅田川近くの下町の病院あたりを歩いたことがあります。4月の空を見上げると、風見鶏ではなく、今は東京スカイツリーが見えます。はたして、今はスカイツリーが鬱々と揺れる青年の心を映し出しているのでしょうか。
 愛用されていた「漆塗りペーパーウェイト」をひょんな縁で、形見分けしていただきました。時々、出して来て眺めては、文章の道を選ぶ人の覚悟の重さを感じています。

拙稿<渡辺淳一 「文壇作家」の無頼>参照を
拙稿<原田康子 『挽歌』から『海霧」へ>の「渡辺淳一と原田康子」も参照を


某日 札幌・中島公園の北海道立文学館。「川上澄生の世界」展を見る。
 文学館常設展アーカイブ企画。
 川上澄生(かわかみ・すみお、1895~1972)は日本を代表する版画家のひとり。横浜に生まれ、3歳の時に東京に移ります。青山学院高等科時代に木版画を知ります。母の死などあって、22歳の時にカナダに渡りますが、さらに北へ流浪、アラスカで鮭缶詰工場で働いたりします。その頃から詩も書いています。1年後に帰国した後、栃木県で英語教員などを務めるようになります。本土空襲が激しくなっていた1945年3月、妻の実家のあった北海道・胆振國安平村(現安平町)に疎開し、さらに白老村(現白老町)に移ります。白老からは東へ20キロほどの隣市にある旧制苫小牧中学校(現北海道苫小牧東高等学校)で嘱託教員として美術指導をしています。1949年に栃木に戻りますが、在道中に多くの美術・文学作品を残しています。夫人同士の縁もあって、「原野の詩人」と言われ、札幌に移ってからは編集者をしていた更科源蔵と関わりが深く、更科が主宰した戦後北海道の伝説の随筆雑誌「北方風物」に「ストーブ」「昔噺・金のたまご」の表紙絵などを描いています。
 ちなみに、私は1951年白老村(当時)に生まれ、苫小牧中学校の後身である苫小牧東高校に学んでいます。まったくのすれ違いですが、太平洋と樽前山を見て育っただけに、ちょっとだけ親しみを抱く理由となっています。
 会場には川上の作品書籍と解題的なパネルがたくさん並んでいるのですが。詩的な英語センスが伝わる絵入りの「変なリイドル」などが丁寧に紹介されていて、面白いです。
  Lesson 1  I am a man.     (Yo wa danshi nari.)
  Lesson 2  She is a nice girl.  (Ano ko wa yoi ko da.)
  Lesson 3  I love her.      (Watashi wa ano ko ni horeta.)
  Lesson13  God damn.      (Konchikisho.)
今はあまり使わない表現かもしれませんが、いわゆる耽美的な開化調というのか、「異国情趣・南蛮趣味(エキゾチシズム)」に溢れた味わい深い版画世界にホッコリしながら誘引されることでしょう。展示は6月25日まで。

北海道立文学館「川上澄生の世界」展チラシ
https://www.h-bungaku.or.jp/exhibition/archive.html#acv01

某日 札幌・中島公園に満開のサクラを見に行く。
   北海道立文学館ではネコだらけの文学展も開かれている。
   エアー花見ではありませんが、
   ムービーで「中島公園 花景色 2023」を撮ってみました。
   写真をクリックすると、動画(ミドルサイズ版)をご覧になれます。

    

   動画が重い場合はこちら(スモールサイズ版)をクリックしてください。

   高画質動画はこちら(ラージサイズ版)をクリックしてください。
   ただし、通信環境次第でかなり重くなります。


某日
   アメリカでの野球観戦のお土産定番らしい。
   エンゼルスの野球帽と手長のお猿さん。いきなりオオタニさんモードというのか。

  


某日
 生きているうちにホームページをつくろうと、今年に入り、まずはホームページビルダーを購入した。それから、使い方を覚えながら、原稿を入れて、サイトをつくりはじめた。だんだん形ができたところで、ホームページを公開するには有料のレンタルサーバーが必要だと確認し、とりあえずパソコン通信時代から数十年お世話になっているニフティーサーブ(@nifty)に申し込んだ。ところが、テストをしていると「http」のurlなので、ブラウザーは安全でないサイトだと警告することがわかった。それで、サーバーを変更することになった。この2カ月近くは渡世の義理をすべて欠いてホームページ作成・公開に全精力を傾注していた。そんなわけで、寄贈されたり連絡いただいたりしたこと、ほとんどすべてに対応できなかった。関係者の皆さまにはあらためてお詫び申し上げたい。テキストの校正は終わっていないが。大枠はできあがったので、これからは少しずつ寄贈本類は読んでお返事をさせていただこうと思っている。同人誌を送るみたいに、幾人かにはページ開設の案内をさせてもらっている。見てくださっても、何の役にも立たないとは思うが、時間つぶしには十分なるかもしれない。功利性を担保するために、リンク的なものも充実させていきたいと思っている。よろしくお願いします。

某日
   寒い日である。昨日から道北は雪らしい。
   札幌も気がつけば、一瞬であるが、飛ぶように霙(みぞれ)が舞っている。
   写真はうまく撮れない。見上げると、結構凶悪な虚空感がある。
  



某日
 新聞の報道によると、<30年札幌五輪「困難な情勢」 IOCが日本側に伝達 地元支持高まらず>ということで、2030年に札幌市が開催を目指していた冬季オリンピックは極めて厳しくなったようだ。
 詳しいことはよくわからないが、一市民としては国民道民市民の血税がぼったくられなくて、良かった、と思った。大金を出す余裕があるなら、今すぐ住民生活のために使ってほしい。
 もちろん、スポーツビジネスの特権階級はネギを背負ったカモを簡単に手放すとは思えないので逆にハードルをあげ、どうしても2030年にやりたいならもっと予算を用意してとか、2030年はダメでも2034年までには反対世論を一掃して、みたいにさまざまなチャンネルで圧力をかけてくるかもしれない。数十年にわたってつくられた上納システムが簡単には停止するとは思えないので、札幌市長ひとりがこの無理難題力に抗しきれるかどうか、正直、不安は残っている。
 それはともかく、時間はないけれど、あらためてオリンピックって何? と考えたいなら、岩波ブックレット1057、小笠原博毅、山本敦久『東京オリンピック始末記』(2022)の一読をお勧めしたい。電子書籍で70ページで、しかも572円なので、ノーベル賞級作家の新作を読むほど大変ではない。オリンピックが独占する「スポーツの力」なるものがいかに虚構であるか一時間もかからず再確認することができる。「オリンピックという超越的な何かがあらかじめ存在していると考えることをやめなければならない」。確かにそうだというのが読後感である。


某日

 札幌にサクラが開花するらしい。西1丁目通は日照が良いのか、いつも早いので行ってみた。
 そうしたら咲いていた。逆光なので、修正したら、結構なものであった。

    


某日
 昨日は黄砂がひどかった。ベランダの手すりも真っ白。
 外に出ると、近くで停めてあった車も真っ白だった。こんなに酷い黄砂はめずらしい。
 黄砂が飛ぶと、大気汚染物質「PM2.5」とかの濃度も高くなるらしい。
 良いことがない。
 そうこうしていると、「Jアラート(全国瞬時警報システム)」だ。
 とにかく避難せよ! と叫んでいる。全然静かだが。
    
   飛んでくるものみな怖し卯月かな


某日 新しい文学系の情報ポータルとなる
   <「青空文庫」による北海道ゆかりの作家 文学全集>というページを作成に入った。
   ちょっと手間がかかりそうだが、完成すれば良いものになりそうだ。
   https://shin-takaoudoism.com/aozora-h.html へ。


某日 ネットを見ていたら、私の雅号である「墨亭」を使っている施設があった。
   私は2000年頃から、おりおりに「墨亭通信」と題したニュースレターを書いていた。
   ただ、検索などで、まったく無関係な施設と混淆してしまうのもよろしくないので
   高校の頃から、句作のときに使っていた「帰塵」にちなんだ庵名に変更することにした。
   ということで、これからは「帰塵亭 庵主うど」となります。


某日 とりあえず、サイトの初期不良などをチェックしたいので連絡メールボックスを
   設けたら、来るわ来るわ。いかさまメール
   英語で「Hi!」とか気やすく、送ってくる。そこまで親しくないぞ、ワシは。
   しかもサーバー会社を装って、料金の支払い要請。「3月分を」と言うが、
   このサーバーは4月から契約したのだから、3月分があるはずもなし。詐欺師め!
   サーバー会社を装って日本語だが、ナンバーなどがドイツ語だしなあ。
   迷惑メール設定をしたので、日本語できちんと書いていないとはじかれます。
   メールをもらっても、基本、返信はしません。悪しからず。


某日 ずっと積み残していた直木賞作家の千早茜さんの研究ノート。
   まだ途中であるが、とりあえずアップロードする。
   これからゆっくりまとめるつもりだ。
   遅くなったが、千早さん、直木賞受賞おめでとう。本当に良かった。
   千早茜研究ノートページへ(クリックする) へ
     

某日
 3月は気になる物故者が多かった。
  3月 2日  大川隆法 66歳
 初めて「太陽の法」を読んだときはビックリした。もちろん異論はある。
 でも、面白かった。著述者として才能を見た。谷口雅春の「生命の実相」以来だった。
  3月 3日  大江健三郎88歳
 高校時代初めて読んだ現代文学が「万延元年のフットボール」だった。驚愕した。
  3月 9日  菅野昭正 93歳
 ちょっと重い用事があってお宅にお邪魔したことがある。合掌。
  3月18日  加藤多一 88歳
 児童文学者というより、徹底した信念の人だった。「不屈」なのだ。
  3月22日  芹沢俊介 80歳
 常磐線だったか、一緒に駅のホームにいたことがある。本物の吉本主義者。
 浮力がついた時代に降って湧いた吉本語り連中と芹沢さんは千里の径庭がある。
  3月28日  斎藤慎爾 83歳
 深夜叢書社の本はよく読んだ。政治的なことはよくわからない。
  3月31日  小浜逸郎 75歳
   「学校の現象学のために」を書かれた頃、横浜の住宅街に伺った。
 太宰治じゃなく大江健三郎の話をしたことを覚えている。高い評価だった。
 なんというか、「自立派」が月末に相次いで亡くなってしまった。時代だろうか。
     吉本隆明さんの近くから出発して、みんな遠くまで行ってしまったなあ。


某日 「ムツゴロウ」の愛称で知られる畑正憲さんが4月5日に87歳で亡くなった。
   彼の「動物王国」をテレビで見ていたが、あらためてある種の凄みを思い出した。
   たまたま、「涅槃図」を調べていたのだが、涅槃つまりニルヴァーナ。
   釈迦寂滅には仏弟子からあれこれの神様からゾウやトラやウサギなどの動物までも
   集まってきて、盛大にこの偉大なる悟達者を送ります。
   釈迦はすべては移ろいゆくと世界の法則(ダルマ)を伝えます。

   動物たちに見送られて亡くなった釈迦の凄さを考えると、ムツゴロウさんに重なります。
   畑正憲さんは九州ですが、幼いときに満州に渡って暮らしています。それ以来、
   常識の壁が取り払われ、動物も人間もみんな友だちになってしまうのですね。
   多大な悲劇を生んだ戦争(満蒙開拓)体験が根底にあるのです。

   畑さんをかじったり(コニュニケート)した動物たちはみんな亡くなったと思いますが、
   畑さんが亡くなったのを聞いて、時間や空間を超えて集まってきて、涅槃図のように
   楽しかったよ、ありがとう、と言っている気がします。


某日 ホームページをつくってみたものの、当初のサーバーではurlが「http」のため
   ブラウザには「安全ではありません」というような、頗る不愉快な表示が出る。
   ひどい話である。まるで、通信情報を危険にさらしてしまう印象となる。
   これではまずいので、「https」での接続となるサーバーに変更する。
   おかげで、サイトの移転工事に追われる。なんてこった。

   当初サイト(一応現存しますが、オススメしません)
   http://shin-takaoudoism.in.coocan.jp/ 
   ↓
   引っ越しサイト(こちらです)
   https://shin-takaoudoism.com/


某日 統一地方選挙の期日前投票に行く。候補者の名前を殆ど知らないのに驚く。
   投票して戻ってきたのは良いが、誰に入れたものか、名前も思い出せない。


トップページに戻る

 ご意見はこちらへ

サイト内の検索ができます
passed